で、まあ、次いでの話だが、サッカーには色々あることは書いておきたい。


強いチームの指揮などしたことがないから、いちはしはいつでも挑戦者の立場でサッカーを考えている。


ところがいいサッカーというのを教わってきたひとたちのサッカーはその時代のチャンピオンチームを教科書として指導の絵が描かれたものを見せられている。

だから、そこで意見が食い違って、それは普通な話なのだが、しかし、困ってしまうのは、なぜだかそれを善悪の問題とか、良い悪いの問題として捉えるひとがサッカー指導者には多い。


たとえば今ならばバルサのサッカー=良いサッカーと語るひとたちにそういうひとたちは多い。
しかし、数年前なら銀河系レアル・マドリードのサッカー=良いサッカーとサッカーマスコミが礼賛していたことを思い起こせば笑うしかない。

何年かたてば時代の旗手は変わるものなのだ。


このところはスペインの時代が続いているから、スペインにサッカー留学なんぞをしてきたひとたちがスペインのサッカーはこうだ、バルサのサッカーはこうだ、と語るのもよく耳にする。


しかし、当たり前だが、スペインの今の代表のサッカーというのはあってもバルセロナとマドリードではサッカーが違うし、セビージャのサッカーともビルバオのサッカーとも違うのは見ていればわかる通り。そして、最近ではそれぞれの地域の子供のサッカー事情も雑誌やネットで手に入る。わかることはスペインでも地域ごとにまったく違うということ。

あるいはバルサTVをみていれば、ドリブル小僧がとても重宝されていることがわかるわけで、それをチームの中でどう成長させているかはバルサTVディレクターしんごの話で書いた通り。
ドリブル小僧は壁にあたるまでドリブルさせているわけで、日本のようにパスサッカーを押しつけたりしない。


そうしてわかることはスペインのサッカーなんてどこにもあり、どこにもない。


見学に行った日本人たちが頭の中で作りあげているもののほうがよほどの理想のサッカーだ。


日本のサッカー指導者の半数近いひとたちはその理想のサッカーを目指して指導をしているように見える。

いちはしは今いる選手のレベルではその理想のサッカーはできないから、さて、どうやって試合を進めようかと考える。


いちはしはサッカーオリエンテッドではあっても、現場にいる限りはそこにいる選手オリエンテッドでありたいわけで、サッカーってそういうものだと思っている。だから、まあ、そうでないものとサッカーを語るのはとても難しい。


経験上知っていることは、理想のチームが作れることを前提に話をしている指導者とはディスカッションをしてもどうにもならないんだよね。

正しい問題と正しい解答なかり語ってしまうから…


で、そこからそうではないことに気づいたとして、足りないものばかりを指摘していく指導者もいまひとつかみ合わない。


足りないところは来年に向けての練習でどうにかしていくしかないから、いちはしだってきつい台詞でボロカスに言うけれど、今年はもうどうにもならないから、そうではなくて目の前にいる選手たちの能力を、長所をフルに出し切ることを考える。

そのことをやり続けていれば、外野が何を言おうが関係なくチームはまとまると思うし、少なくとも試合を見に来て応援してくれる人たちを感動させることはできるのではないだろうか。


まあ、ウダウダ書いたけれど、しょうもない話は終わってしまっているようで、まあ、今はもうどうでもいい。


いちはしとしては放り出された現役選手諸君が今後もどのような形であれ、サッカーを続けてくれることを祈るのみではある。


サッカーを続けていれば、いつかどこかで会える。


何があっても自分の大切なものを最後まで放り出してしまうことがないように応援しています。

それは本当は生徒諸君だけではないのだけれどね…