衆議院解散に寄せて〜政治は誰のモノ? | ブレない指針| みぞぐち晃一|完全無所属 前都議会議員選候補(大田区)

ブレない指針| みぞぐち晃一|完全無所属 前都議会議員選候補(大田区)

情報公開おおた代表「みぞぐち晃一」(前東京都議会議員大田区選挙区(無所属)候補者)のブログ。

 【衆議院解散に寄せて】

 こんにちは、みぞぐち晃一です。

 今日、衆議院が解散します。
 すでに小池東京都知事が「希望の党」を立ち上げ、その人気はうなぎ登りの様子です。

 野党第一党のはずの民進党は、その人気に負けて総崩れで希望の党公認で出馬出来るように願い出ている始末です。
 前原代表まで「民進党で公認は出さず、小池新党の公認審査を受けなさい」というに至っては、実質的な解散です。

 ニュース記事では、落選濃厚であった民進党公認新人候補や元職が「新党とほとんど政策は変わらない。これで当選の芽が出る」と自分が希望の党で公認が出るのが当然と思っている極楽とんぼぶりに驚きます。

 数年間、高額な国会議員歳費をもらい選挙資金を貯め込めた現職であるならまだしも、現職でも何でも無い民進党から支部長職として政党助成金からの政党活動費(給金)をもらっている立場の一公認候補者に、なんで改めて新党が公認をする必要があるでしょうか。

 選挙資金も支部運営費も民進党の政党交付金から支払われている彼らに、新党への持参金はない訳で、噂されている500万円近くの公認料(持参金)や自腹の600万円の供託金を用意出来ない者に新党の公認など出るわけが無いと思うのは、私だけでしょうか。
 そのうちに臍を噛んでも遅いというものです。



 民進党が寄り合い所帯と言われ、左から右へのオールウイング政党だったからこそ、まとまりを欠き、外交政策、安保政策でもまとまれませんでした。

 それを教訓に小池・前原会談で話し合われたのは、小池新党が受け入れたくない人物達の処分の仕方であったろうと思います。

 つまり、民進党の全部合流では、また民進党と同じ轍を踏みます。
 いわゆる入れたくない人をどうやって排除するか、落選させるかという、民進党内にこそ敵が沢山だったわけです。


 民進党の初めの母体である「旧民主党」。
 その時にも、新党さきがけや社会民主党からの一部の人を受け入れない、と当時の鳩山由紀夫代表の発した「排除の理論」が、この政党の根底にはあるのです。

 その後、自由党との合併や維新の党との合併を経てなお、そのごった煮はより一層強くなり、ここに至っての強制的排除の手法が、前原代表の言う「民進党の公認は全ての人に出さない、希望の党で公認審査を受けろ」という選別責任を部外者の小池新党に任せ、おのれは手を汚さないという卑劣な手段を用いようとしています。

 民進党内の左側の方や執行部や新党合流に批判的な方には、民進党の看板で闘わせることもさせないという芽を摘む手法で国政のチャンスを排除をします。

 これが本日の民進党内での両院議員総会で承認されるのかどうか解りませんが、執行部一任で強行決断になるなら、実質的に解党、後は政党交付金積み立て分の分捕り合戦という、みっともない泥仕合が待つだけです。


 その経緯を見ると、国会で民進党議員が報道番組で発したように、「持参金(政党内部保留金)を持つから受け入れてもらうんだ」というお金ありきの野党統一となりそうです。

 新党は人気がありお金が無い、民進党はお金があって人気が無い。
 もう、それだけで相互補完関係。

 でも、主導権は小池さんですから、民進党側の公認者であった方々は、その土台が無くなり、候補者にすらなれないという現実を認識するべきですね。

 その条件が持参金次第であるなら、後は政治にいつものようにある「誰と親しいか」「誰が後ろ盾か」「どのくらいの支援者(団体)か」というコネで全て決まるでしょう。

 静岡や神奈川の民進党公認候補者に希望の党公認が先に出る理由は、細野豪志、笠浩史、後藤祐一などの小選挙区勝ち組の傘下だからでしょう。




 さて、その様な人選などの背景は、置いておいて、希望の党が野党統一となった時、おかしな事ですが、中道より左側、中道左派ですら、居る場所が無くなります。

 有権者から見ると、左側の共産党を除けば、右側の方々しか候補者が政党が無いことになります。

 つまり、選挙後、どちらが買っても結果的に共産党を除く、大翼賛会が出来上がることになるのではないでしょうか。

 右側二つの二大政党という、それは選択肢としてあり得て良いのだろうか?という疑問が産まれまずが、そこを目指してきたのが、安倍晋三総理と小池百合子女史の作戦であったとしたなら、私たち有権者も多くの国会議員候補も彼らの手のひらで踊らせされていたコマでしかなかったと言う事になりますね。



 政治家になるのには、選挙を経なければなりません。
 その選挙に耳障りの良い、心憎い公約を上げて人気を煽っても、やらないのであれば、掲げない政党と同じでは無いでしょうか。
 いや、むしろ、やりもしない公約を掲げ、期待を持たせて裏切ることの方こそ、罪は重いでしょう。

 都政の透明化を掲げたからこそ、応援した人も支持した人も多かったのに、一向に進まないばかりか、自分たちの都政運営や政党運営も『完全不透明』なままです。

 私たち有権者は、賢くならなければいけませんが、彼らは更に上手ですから、小選挙区制度を利用して『どっちを選んでも同じ』にしていることを理解した方が良さそうです。


 私は、今回の衆議院選挙は、だいぶマズいことになっているのではないだろうか、と危機感を持っています。

 どっちに転んでも歯止めの利かない右側政権で、独裁制の強くなる危機感があります。

 そして、困ったことに大翼賛会の可能性も有り、ストッパー役になれそうな所が遙かに役不足の共産党しかないという、これまた現実路線に遠いイデオロギーの政党で、政治に諦めを呼ぶには十分な構図を作り上げてしまっている候補者選択です。



 これらに至った大元は、もちろん、今までの有権者の参政の無責任にある事は免れないでしょう。

 「どんな政党でも良いから、当選しよう」という選挙至上主義の議員ばかりになったのは、小選挙区制度導入からです。

 これは、本来の筋道から外れた当選の仕方です。
 本来であれば、有権者の声をすくい上げ、その声を元に政策方向を決め、訴えて支持を得るはずです。

 しかし、有権者までが支援する候補者に『当選さえすれば、何でも良いから』と訴えるのは、政策などどうでも良く、オラが代表を送ってゴネる力を得たいという欲望です。

 そして、議員が選挙優先でしか考えないのは、どんなに議会で頑張って仕事をしても、それは選挙の票にはならないことを知っているからです。

 祭りや地域行事に参加して、参加費という名のカネを置いて挨拶して帰るだけの『意見交換したというバラマキ』の政治。
 それを受け入れ、むしろ、率先して迎え入れ、支払いの無い議員には支援が無くなるという恐怖。

 選挙前の挨拶には、対価のある者を求める者、支援する代わりに要請が条件の団体、そうやって、しがらみを強く作って票を固めてこなければならなかった議員たちを支えていたのが、有権者である事を忘れてはなりません。


 逆に、そういった「しがらみ」とは、一切関係の無い一有権者の多くは、強制されること無く投票出来るのに、解らないから棄権をしてきました。

 もしくは、近隣の方々に紹介され、検討すること無く言われるがままに『しがらみ候補者』に入票したのでしょう。
 どちらも消極的支持となり、結果的に責任を持たざるを得ないのです。



 東京都政では、小池劇場による都政の無駄遣いも指摘されるようになりました。
 財政悪化の責任は、都民が最終的に被るのです。

 節操なく政党を移りブームで都議になった方々の仕事をしない、発言しない一人当たり年間2000万円近い報酬や経費も都民が負担しているのですよ。
 これが国なら国民が全て負担し、支払うのです。

 有権者が、知らない、解らない、を続けているうちに、政治の劣化は、ここまで来たと私は感じています。



 今、衆議院議員選挙で示されようとしているのは、選択肢を狭められてしまった選挙です。

 自分たちで擁立してこなかったツケが、政党権力者の采配で候補者が決められていき、そこからの選択に馴らされてしまっています。

 小選挙区制度という制度導入から、着々と一党独裁が出来る仕組みが出来上がろうしています。
 その一強を目指したい二大政治家が、これからぶつかるわけです。

 でも、どちらも同じ方向を向いていて、権力争いでしか無いように思えます。
 私も入票するところが決められずに困っています。
 本当にこんな政治を、選挙を皆さんは望んだのでしょうか。


 ここに答えは、ありません。
 民主主義ですから、一人一人が考えなければならず、考えを放棄して何かに乗っかれば、その責任も自然と負うのです。

 タダより高いモノはありません。
 考えて選択するという代償があって、初めて良い政治を迎えられるという対価が得られるのではないでしょうか。
 
 ご意見、お待ちしています。

(了)