今はとても元気。息子は高校3年。
「今日は学校を休んだけど、昨日は学校帰りに野球をしてきたよ。
10人くらいで。公園で。しかも自主的に!」
(自主的に!に力を込めてアピールするところがかわいらしい)
夏に、とあるシンポジウムに参加する。「息子の場合の~」を語る。
「そんなにオレを学校に行かせたいなら、学校に行くことの意味を教えてくれ」
これには、わたしの力では何とも応えられず。
(当時の支援者も絶句、すごいですね(((( ;°Д°)))))としか言ってくれなかった(笑)
「オレはずっとがんばってきたんだ」
「行きたくても行けないんだ」
不登校時代の息子は、心の底から言葉をたくさん吐き出した。
それが、誰かのなにかのヒントになるなら、やはりうれしい。
たくさんの涙も親としての自身への悔しさも意味があったと思えるならうれしい。
いろんな出来事への憤りも手放すときがきたんだと思う。
毎朝、腹痛、頭痛を訴えて苦しむ姿はやりきれなかった。
息子の不登校は、自己防衛だったと思う。
自分を守るためには、当時の学校へどうしても行けなかった。
(それなのに登校させようと必死になっていた親と先生と・・・。
ごめん、わからなかったんだよね、そのときは)
特別支援という発想のまったくない場所で(いじめとからかいの渦の中で)
時間を過ごし、がんばっていた。
でもがんばりきれなくなって、心がかちこちに固まってしまった。
それが今、ようやくとけてきて。
「学校に行けなかったのは、カラダがだるくてたまらなかったから。
未練はあったんだ」と先日もらしていた。
母も話してみよう。