自分が使っているタロットの解説書を読んでいて、たまたまこんな言葉に出くわした。


「もっとも低い愛はセッ.クス―肉体のもの―そして、愛がもっとも高く洗練されたものが慈悲だ」



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少し前に、こういう文章を見て、すごく悲しくなった。

 

変な違和感。


ヨガでもよく言われるらしい。

 

ヨガは性欲を、どう性欲じゃなくしていくか、そのためのツールって。

 

 

欲はダメ、と言われる。

 

セッ.クスは低俗、と言われる。


刺激を求めるのは、ダメと言われる。

 

こういう発信には、違和感をいっそう感じるようになった。

 

でも、それを、うまく説明できない、言語化できない、外に出せない時期がしばらく続いた。


 

セッ.クスって、

 

それにばかり集中していてはいけませんよ、

 

それにばかりかまけてはいけませんよ

 

そのことばかり考えていてはいけませんよ

 

それにばかり気をとられるのは、レベルの低いことですよ

 

ね、わかってるでしょう?

 

こんな雰囲気とともに、語られることがある。

 

そう感じる。


 

 

ま、仕方ないけど。

 

私は、セクシュアリティについて話すときに、セッ.クスのお話もとても大事にしている。

 

なぜなら、それについて悩むことで、自分の本当の気持ちだったり、

 

自分の身体と心のことについて、気づく人が多いから。

 

そこが入り口になることが多いから。

 

私がそうだったから。

 

そう、私がそうだったから(笑)

 

 

自分のこれまでの人生の中で、とっても大事なことだったから。

 

そして今自分の仕事になっていることだから。

 

自分で望んでそうしていることだから。

 

 


セッ.クスが低い愛なのなら、それで悩んできた私はいったい??

 

…となる。


 

この行為で、十分にお互いのエネルギー交換ができて、

 

相手の人生にまで、いい影響が与えられる世界があるって、

 

本気で思っている私はいったい??

 

…となる。


 

過去に悩んだ時期から私が得たのは、

 

「自分にとってはこれは大切なことなんだ」

 

「他の条件がすべてよくても、セッ.クスに対する思いが合わないだけで、

 

それまで良好に築いてきた二人の関係が簡単に壊れるくらい、大切なことなんだ」

 

ということだった。

 

 

私が大事にしているお話を、

 

それは低俗です

 

それはレベルが低いものです

 

そればっかりやってるわけじゃありません


それが一番大事なことじゃありません


セクシュアリティってそれだけじゃありません


って言われるのが嫌なんだな。


 

※セクシュアリティが、セッ.クスだけではない、のは、もちろん事実です。


実際はたぶんそうじゃないのに

 

「そう言われているような気がする」っていうレベルが、

 

とても過敏になってる部分なんだな。


 

以前に、この違和感があっちこっちからやってきて、

 

自分の中でモヤモヤになって、受け止めきれなくなったときに、

 

よーく自分の気持ちを見てみたら、

 

そんなことが出てきた。

 

いや、もちろん、このテーマは

 

私にとって大事だって知ってるんだけど、

 

もしかして、私が今感じている・思っているよりずっとずっと、

 

性・セッ.クス・セクシュアリティについて考えてきた時間は、

 

私にとって大事なもので、

 

とりわけその中でも、セッ.クスのテーマが、

 

すごく「大事」の部分を占めていることに、

 

今さらながら気づいた。




でも、それだけ「大事」って思ってるのに、

 

それを、人に説明できない。

 

熱く語ることもあまりしてない。

 

どう言っていいかわからない。



…それが悔しかったみたい。

 

自分を自分で守れていないようで。


このお話にも結局通じる。

 

 

こんなにも大事なんだーーーー

 

私、悔しいんだーーーーー

 

って、泣けてきて泣けてきて。

 

こんなに泣くくらい、私、真剣なんだーーーーー

 

 

って思ったら、笑えてきた。

 

真面目すぎない?

 

ちょっと真剣すぎない?

 

あまりにもマニアすぎない?

 

って思って。


泣くくらいか、そんなにか(笑)

 


 

でも、しかたないよね、なのだ。

 

だって、そうなんだもん。


 

自分が大切だと思っているものを、大切にするしかない。

 

人とぶつかっても、そうするしかない。

 

しょうがない。

 

それしかできない。

 

相手にも大切なものがある。

 

相手だって譲れない。私も譲らなくていい。


 

無理して、人に合わせていると、勝手に限界が来るようになってる。

 

このくらいならいいか、と押し込めたモヤモヤは、いつか表面化するようになってる。


これはどうしても、自分にとっては大切なことなんだ、と思い知らされる。

 

だから、思い知ればいい。

 

人とぶつかるのは悲しいんだけど、

ぶつかったあとも、修復はなくても、

その相手を好きでいてもいい。


尊重したかったから、

心の底からそう思ったから、

そうしてきたのだから。

 

これを許したら、すごく楽。

 

{07F46BBA-39D4-4BA5-843E-A83A6DF5D746}photo by Masaru Tsuruoka