日本と海外の医療の比較④世界最高の日本の医療に不満が多い理由 | がん治療の虚実

日本と海外の医療の比較④世界最高の日本の医療に不満が多い理由

前回までに海外の医療がいかに大変なものか、そして国内の医療がどんなに恵まれているかということを記載した。それにもかかわらず、不満が大きいのはなぜだろう?

海外の悲惨な状況を知らないからと言うのは自明なことであるが、がん治療に絞って、もう少し掘り下げてみる。(といっても政治的なあるいは財政的な観点に入り込みすぎるのは当ブログの趣旨では無い)

先に結論から書くと、日本の場合国民皆保険医療が非常に安価であることが回り回って、大きな不満の遠因になっているような気がする。読者はなんのことかわからないと思うので以下にその理由を書く。

自分が学生の時、臨床薬理学の講義を聴いて、驚いたことがある。
薬理学では薬物動態や効果、副作用などの講義内容が当然入ってくるが、その中に薬剤の品質保証の項目があった。
これは当然と言えば当然で、まず効果以前にその薬剤の成分が間違いなく保たれており、不純物や不潔なものが混入されていない事を保証されている必要がある。
その講義を聴くまで自分は全く念頭に無かった領域であるが、実際に働きはじめるととても重要な前提とわかり始めた。
しかし、医師、患者間でそのことが議論になることはほとんど無い。薬剤の品質はまるで空気のように存在して当たり前という無意識の約束事だからだ。これは市中薬局で扱っている薬も同様だろう。
ところが海外ではそれが通用しないのだ。

露天などに無造作に色々な薬が売っているが、それが本物の薬だという保証は誰もしてくれない。それどころか薬局で売っている薬剤も現地の人々は全て信用しているわけではなさそうなのだ。
薬のはこの中にはホログラムなど本物の証明のようなシールが貼ってあったりもするが、シールの偽造も横行しているので役に立つとは思えない。

一時期インターネットで海外のEDの薬剤を購入し、副作用と思われる間質性肺炎で死亡した日本人がいたが、調査してみると、ネット市場で出回っているその薬剤は半分が偽物だったという。
このように偽薬(この場合はプラセボの役目があるわけでは無いが)をつかませられる危険性は、日本で発売されている薬剤に関しては疑う意識さえ無いだろう。
考えてみれば大変ありがたいことなのだが、日本にずっといると気づかない。

日本の行政、製薬会社、病院、薬局が努力してこういった品質を影で保っている一方、超高額な薬剤特に抗がん剤は毎月100万円近くかかっても、高額医療制度があるため、他の医療費と合わせて自己負担は最高でも7~8万円に抑えられ、生活保護を受けていれば無料となる。
こんなに恵まれた国は他に無い。

かたや米国では大統領報道官が大腸がんに罹患し、抗がん剤治療費を捻出するために職を辞して、昔の職であるニュースキャスターに戻ったという報道もあった。

また英国では例えば胆道がんに罹患した場合、保健医療範囲内で治療を希望するときは新規抗がん剤の臨床試験に参加しなければならず、参加できなければいきなり緩和療法のみと割り振られると聞く。透析治療(日本では月に50万円ほどかかるが、自己負担無し)などは医療保険が効かず、すべて自費らしい。

日本において抗がん剤治療は副作用のきつさ、治癒率の低さから敬遠して、代替医療や免疫療法を希望する人が珍しくない(もちろん少数派だろうが、潜在的に希望する人は少なくないだろう)。
理由として抗がん剤治療の意義を理解していない(あるいは病院側が教育していない)ためと自分は考えているが、他にも大きな理由として抗がん剤治療費が比較的安価(注)であることを挙げたい。
わけがわからない人が多いだろうが、言い換えると「経済的毒性」が低くて大きな問題となっていないから身体的毒性つまり自覚症状としての副作用大きくクローズアップされているということだ。

日本においては国民皆保険診療で患者個人が負担する医療費がたいして問題とならないため、治療費の問題は学会や論文であまり注目されていないが、海外の医学論文では治療費の問題をテーマにしてる論文をよく見かける。
(その昔海外の学会会場で「胃粘膜を採取して行うピロリ菌検査キットで結果が陰性だったらもう一度他の患者さんに使っても陽性判定能力は損なわれていない」という内容の真面目なポスター発表があって仰天したことがあった。)

遠隔転移のあるがんにかかり、きつい抗がん剤治療をしても治らないぐらいなら、もっと楽な免疫療法などの代替療法を探したくなる理由としては

①治らないと現実を直視するより、もしかしたら治るかもしれないと言う希望をわずかでも残しておきたい
②昔からのがんと抗がん剤の副作用のひどさのイメージがこびりついている、あるは身近な人が苦しんでいるのを見たことがあるため。
③どんなに高価な抗がん剤でも健康保険診療の範囲ならだれでも常識的な経済的負担の範囲で受けられる。そうすると金銭的に少し余裕があればもっといい治療はないかと探したくなる。

ここからは少しきつい表現になるが、だれでも受けられる治療だとありがたみが薄れてくるのでは無いだろうか。
副作用が怖い、治療がきついという意見は裏返すと経済的副作用はあまり問題となっていないと主張しているのに等しい。
約1%が死に至る抗がん剤治療は当然患者さん本人にとってはものすごい負担になっていると思うが、このシリーズで紹介してきたように米国ではリンパ腫の初回治療費350万円や肺がんの11ヶ月間の治療費8500万円(いずれも自己負担額、しかも医療保険に入っているにもかかわらず!)という途方も無い「経済的毒性」は決して引けを取らない衝撃だろう。

米国において治る可能性は高くなく、副作用を相当覚悟した上で自分と家族の人生を破壊するほどの医療費を払ってでも抗がん剤治療を希望するのは、不利益以上にがん症状の緩和と延命効果が結果として出ているからだ。
残念ながら、苦痛緩和と今少しの人生の延長をお金で購入するようなものだ。
お金がない人は臨床試験に参加してでも抗がん剤治療を受けようとする(抗がん剤費用は無料となるが検査代は自己負担)。
巨額の治療費がかかるがために、抗がん剤の副作用はまだましという感覚になるし、なんとか工夫して軽減しようという気にもなる。
治療費は例外なく全員に降りかかってくるが、身体的副作用は全員深刻なものになるわけでは無いからだ。
この抗がん剤治療は日本では誰でも比較的低額で受けられる治療であるが故に、皮肉なことに本当の価値が理解されにくい。

地方や高齢の患者さんからは「先生におまかせします」という言葉がよく聞かれるが、これも自己負担があまり多くないためだろう。

例えば3千万円の家を新築するのに大工さんにお任せしますと言う人はいない。

治療の自己負担額が10倍以上となれば、副作用を軽減する方法を自己学習し、確実に利益の大きい治療法をもっと一生懸命探そうとするのでは無いだろうか。
幾多の免疫療法は数ヶ月で数百万かかるとされているが、どのがん種にどのくらいの確率で効果を示すかというデータが無い。ただある種のがんで治ったという経験談や、その施設で恣意的に集めたデータがあるだけだ。
もし、抗がん剤治療が米国並みに自己負担がかかるとしたら、その免疫療法と同額ぐらいの自己負担となる。
前者は結果の出た治療法、後者は理論上うまくいくかもしれないとされる治療法。その上で果たしてどちらを選びたくなるだろうか?

さて一回りして、最初のテーマに戻る。
最近のニュースで最もイライラする時は病院で待たされたときという報道があった。
これは日本では気軽に病院にかかれて当たり前という意識が醸成されているからだろう。
実は医療には相当なコストがかかっているが、国民皆保険で自己負担が少なくてすむ。
そうするとちょっと調子悪かったり、不安でも受診する患者さんが増えてくる。
病院は混雑するし待ち時間は長くなる。しかも自分にかけてくれる時間は数分のみとなるから、なおさらイライラする。
海外では待たされる事以上に、受診できる病院を制限され、医療費自己負担額の方がよほど切実になっていることを考えると、贅沢な不満と言えるだろう。