『肉体不平等~ひとはなぜ美しくなりたいのか?~』

石井 政之 著 平凡社新書182 2003年5月19日1刷

 

2003年初版の本なのでずいぶん古い本である。

 

たまたま本棚の整理をしていたら

昔、読んでそのまま棚に並べられていたのが

目について

「どんな内容だっけ?」

って読み返したので

こんな古い本が出てきたのである。

 

飛ばし読みながら再読してみると

私のひっかる所が違ってきていることに気付いた。

ココにそのことを書いて備忘録としておこうと思う。

主に“「からだ」”と“体”の関係についてだ。

 

一度目に読んだ時の感想を

あんまりキチンと覚えていない。

「人間って自分の体すら商品として

流通させないとダメな哀れな生き物だよな」

ってくらいのありふれた感想くらいだったと思う。

(野生動物の“美しさ”とは明らかに内実が違うのだ!!)

 

本の内容は

人それぞれが抱いてしまう

ボディイメージの時代変遷や

その機微みたいなものを

ケースを上げて

書いていってるのだが

その題材になっているのが

中村うさぎや乙武洋匡の本だったりする。

 

今や

中村うさぎ的なプチ整形みたいなのは

ごくごく当たり前になってしまい

中村うさぎ本人の話題もあまり聞かれなくなっている

中村うさぎ的な心の在りようがごくごく一般化して

こんなことを指摘しても

「今さら?、それで?」

というぐらい受けとめられているのでは

ないだろうか?

 

乙武洋匡も

教師をやり、それも辞めて

政治家に転身しようとした際に

不倫報道でウヤムヤになった。

それに伴い

強靭なボディイメージを操る強者のイメージは

もうどこかに吹き飛んでしまっている。

 

つまり、

この本の語ったボディイメージの機微は

15年経った、現在、もっと遠い所まで流れつき

大きく変遷してしまったいるのだ。

 

そういう意味では

古すぎてもうこの本から読みこむことは何もないのだ。

 

けれども、

ボディイメージの外側へと目をやると

(つまり、この本にはあまり書いてないことを

考慮にいれてくると・・・)

違った景色が見えてくる。

 

それは、

「ボディイメージとは「からだ」なんだろうか?」

という設問を通して見えてくる。

ここで言う「からだ」とは、

 

【自分自身の五感で直接感じることが出来る体】

 

だ。

私が勝手に個人的に決めた使い方だ。

ボディイメージは自分の身体に対する

自分が持ってしまう体のイメージだ。

 

それは

五感で直接感じることが出来る

「からだ」なんだろうか?

 

安直には答えられない。

 

運動や整体などで

イメージを動かすことが

「からだ」を動かすことにつながり

体を変化させるという意味においては

ボディイメージは「からだ」だと言える。

 

けれども、

社会的な基準を取り込もうとして

どんどん痩せていってしまう摂食障害や

整形をエスカレートさせていく醜形恐怖などを

駆動するボディイメージはすでに「からだ」でないと

言い切れるように思う。

 

五感で感じるという部分が

どんどん後退してきているように見えるからだ。

 

つまり、

【ボディイメージにも

「からだ」であるものとそうでないものの

二つの側面がある】

ということだ。

 

この外側からやって来る

ボディーイメージとは一体何だろう?

 

これは多分、

私達が普段の生活から蓄えられた

“体”の記憶が肥大化したものだと思う。

(物質的・理念的に括り出した身体とも

 五感で探りだした生々しい「からだ」とも違う“体”)

 

普段、私達は“体”を当たり前として

習慣と無意識の記憶に頼りきって

その感触を確かめもせず

ほとんど意識されることもなく使っている。

この状態に安住することによって

変に神経をすり減らすこともなく

私達は安心して暮らすことが出来ている。

 

おそらく、

そのオートマティックな仕組みが

暴走して

感じる「からだ」をキリキリと追いつめて

私達を苦しめてしまうのだ。

 

美しさ/醜さも

健康/不健康も

健常/障害も

 

全てこのオートマティックな仕組みに

絡めとられてしまう可能性がある。

 

そして、それが暴走すれば

健康のための健康

美のための美

金メダルをもらうための健常へと

安易に結びついてしまう。

 

これは多分

「からだ」から見ると

本末転倒なのだ。

 

その意識が多分私に

スーパーマンを目指さない

と書かせたのだと思う。

また、


1.体…私たちが日常生活で使う言葉そのもの

体が中途半端に残ってしまっています。

これは私の今後の宿題です。


日常生活で使われる体は
身体、「からだ」両方の意味を
兼ねて使われるだけではなく
もっと広い意味を

含んでいるように思います。


ただ、どこまで含んでいるのかは
考えあぐねてしまいます。

と過去に書いたのも

この部分に対する恐れを

意識してことななのだ。

 

 

 

 


 

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