メリークリスマス!
今日はクリスマス・イブですね。今は家族や友人達、パートナーと食事したり、会話したりしてくつろいでおられる方が一杯のだと思います。楽しんで下さいね。
さて、野暮ですが、ちょっとクリスマスについて考えてみます。
「クリスマスは何の日なんだろうか?」
オーソドックスな答えは、イエス・キリストの誕生日だと思います。でも、聖人の誕生日ならお釈迦様の誕生日だってもっと祝っても良いはずです。形式的には間違いではありません。けれども、私が知りたいのは
《私達にとってクリスマスは実質的には何の日なんだろう?》
ってことです。ここで言う実質とは外面内面を含めた暮らしの中での位置づけです。
では、宗教的な聖なる祭の日でしょうか?形式的にはそうでも、私達は最早そのようなものとして受け取っていないように思います。
お正月やお盆のような伝統的な年中行事でしょうか?かなり近い感じがしますね。伝統によって決められた枠を言い訳にして普段出来ないご馳走を食べたり、寛いだりする感じがします。
でも、クリスマスには少し特別な感じがあります。これはどこから来るのでしょうか?
私はこう考えています。 《宗教や伝統から離れた所で生活そのものを味わうことを許された最初の一日》 歴史を振り返ってみると人間はいつも何かのため働いて生活してきました。主に生きるためにです。生活そのものを目的に出来なかったのです。働かざるもの食うべからず。といった言葉によくこのことが現れています。
そのために、寛いでご馳走を食べたりするのに、言い訳が必要だったはずです。自分にも他人にも。その言い訳が伝統や宗教だったのではないでしょうか。特に日本では、軍国主義の戦争時代から貧しかった高度成長期前までは特に言い訳が必要だったに違いありません。
けれども、近代化が進み物質的な制約から解き放たれると私達は言い訳をする必要から解き放たれました。最初はおそるおそる、そして段々と大胆に。そのおそるおそるの第一歩になったのがクリスマスなのではないでしょうか?
日本で異国異教の習慣が選ばれたのもその辺に理由がありそうです。自分たちで自由にイメージを膨らませることが出来る上に聖なる実感も薄いからです。
私達は宗教や伝統から解放され初めて、自足的な「生活の価値」に直面したのです。そこからは、「からだ」への道のりは、ほんの少しのところまで来たのだと私は思うのです。
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