当院のある西宮でも、キンモクセイが咲きだしたようです。窓を開けると秋の涼やかな風の中に、キンモクセイの花の匂いがかすかにまじっています。秋の空気をいっぱい吸い込みに外へ出かけたくなってしまいます。


ところで、このキンモクセイの香りをトイレの匂いと表現される方がおられます。最初に聞いた時は、びっくりしました。

確かに、トイレの芳香剤なんかで一時沢山、キンモクセイの香りが使われていました。イメージが逆転してしまったのでしょうか?(もし、そうなら、その人にとっては、キンモクセイの木より芳香剤の方が身近なものになってるということでしょうか?。)
それとも、公園のトイレの裏に目隠し(匂い隠し?)の為によく植えてあるキンモクセイの花の香りがトイレの匂いと混じってイメージされてしまっているのかもしれません。

この匂いに対するイメージも一種の身体イメージです。

匂いに対する反応には、もともと生得的に反応する部分がありますが、「からだ」はその上に積み上げる形で、新しい【におい】イメージを追加していきます

私の場合は、
キンモクセイの香りを感じると、胸が少し開いて呼吸が少し深くなります。胸が開くと横隔膜が少し下がる感じがして、胃腸が動きだすのを感じます。

これは、「からだ」がリラックスして食欲が出てくる方向へ反応していることを表しています。
どこから、どこまでが生得的な反応なのかは完全に区別は出来ません。

この香りを良い匂いと感じて胸が開くのは、生得的な感じがします。けれども、胃腸が動き出すのはもしかすると後からついたイメージかもしれません。キンモクセイの香りを付けたお酒を飲んで美味しいというイメージが私には出来てているからです。

さらに私には、
キンモクセイの香りには、違うイメージが乗ります。夕陽のイメージとそれを眺める視線のイメージです。これは、ほぼ後から付いたイメージです。
子供の頃、実家の裏庭には、キンモクセイが植えてありました。裏庭は、西向きに面していて沈んでいく夕陽を見ることが出来ました。遊び疲れた時、ここで時々ぼっーと夕陽を眺めていました。キンモクセイの香りにはそのイメージがつきまとっています。

キンモクセイの香りをかぐと私は視線が遠くをさ迷い赤い空を自然に探してしまいます。

このように香りには、幾重にも身体イメージが、折り込まれています。持って生まれた方向づけの上に、新しいイメージをつけ加えていくのです。この積み重なったイメージの層が「からだ」に対して働きかけて実際の身体の在りようを変えていっているのです。


さて、
キンモクセイの香りから、トイレをイメージする人の身体の反応は、どんな風になっているのでしょうか?もしかすると、リラックスではなく緊張の方向を向いていたりするのでしょうか?とても気になってしまいます。わかる方いましたら、教えて下さい。


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