第137話)自殺って言えなかった | 幸せのDNA …… 学校では教えてくれない大切なこと

幸せのDNA …… 学校では教えてくれない大切なこと

心理相談員/生きがい・子育て講演講師の みやた あきら です

人はひとつでも居場所があると、生きていけるといわれています
居場所とは、ありのままの自分を受け入れてくれる場所、
「今のままでいいんだよ」と言ってもらえる場所です
あなたの居場所はどこですか?

第133話 第134話 」で、自殺を取り上げました。

その中で、「孤独でなければ、生きていける」「あなたを理解し、受け入れてくれる人がいるはず」と書きました。

これに対しrikuhachiさんより、コメントをいただきました。愛する人がいても、自殺を選んでしまうことがある・・・と。

確かにその通りでした。

「死にたい」という言葉を聞きますが、ほんとうは誰でも「生きたい」のだと思います。自殺を選んだ人も、本当は、「生きたかった」はずです。

生きたいという思い、死への恐怖、愛する人を残すことへの悔しさと心残り・・・そういった「生きたい」という思いに対して、「生きることの辛さ、苦しさ」が、それ以上に重くのしかかってきた時、人はやむなく死を選ぶのではないでしょうか。

そして、その時の辛さ、苦しさは、今生きている私たちには、思い及ばないほどのものなのでしょう。

人の思いは、揺れ動きます。たとえば、うつ病は、「生きたい」という思いを縮め、「生きることの辛さ」を増大します。

愛すること、愛されることは、「生きたい」という思いを、大きくすることはできるでしょう。しかし、それを上回る「生きることの辛さ」が絶対に来ないとは言い切れません。

死を選んだ人が、愛されていなかったわけではありません。愛していなかったわけでもありません。

親を自殺で失った子どもたちが、自らの思いをつづった「自殺って言えなかった」 という本が出ています。

その本からの抜粋です。(文章も一部省略してある個所があります)

◆あしなが育英会 職員

(自死遺児の文集を出すきっかけになったミーティングを思い出し)
「ぼくのせいでお父さんは自殺したんだ!」
「こんなに苦しいなら、何で父さんは私もあの世に連れていってくれなかったのか!」
2000年2月、2泊3日の初めての自死遺児ミーティングに参加した11人の大学生と専門学校生全員が、心の奥深くにため込んだ思いを告白した。

「心から血を噴き出し、『苦しいよう。助けて!』と叫んでいる」。

聞き手だった(私たち)職員の心は、つぶれる寸前だった。私たち(職員)3人はともに交通遺児で、数百人の遺児の自分史を聞いてきた。が、こんな経験は初めてだった。

◆19歳専門学校生、女性、3歳の時に父親が自殺

父の死因は小学校のときに知った。「聞かれたら、病気で死んだって言いなさい」と(母に)強く言われ、自殺はいけないこと、人に知られちゃいけないことなんだと思った。

自分はまわりの人とは違うんだという思いが強くなり、それが苦痛だったために、父のことを考えないようにした。

高校2年生のとき、あしなが育英会の「つどい」に参加して、初めて自分史を話した。
不安だったけど、思い切って話してみた。話しはじめたら止まらなくなって、せきを切ったうよに次から次へと言葉があふれ出した。

父が自殺したこと、他人の自分を見る目が怖かったこと、父の死因を病気だと嘘をつくのがつらかったこと、母に殺されそうになったこと、父のいないつらさを母に聞いてもらいたくてもできなかったことなどを、泣きながら話した。

それから1年がたち、2度目の「つどい」がやってきた。そこで衝撃的な出会いをした。

自分史を語る時間の最初に、同じ班の最初の一言を聞いたとき、驚いて息が止まりそうになった。彼は、「自分の父親は自殺で亡くなった」と言った。私と同じだ。自分と同じ体験をしてきた人に出会って、初めて父の死に対して目をそらさずに考えられるようになった。

◆23歳大学生、男性、中2の時に父親が自殺

父を失ったとき、私は裏切られたような、見捨てられたような気がしました。自分が今まで信じていた、いちばん身近な父の自殺は、私に大きな大きな傷を残しました。

あしなが育英会の活動に携わるにつれて、父の自殺に対する考え方にも大きな変化が起こりました。

それまでの私は、「自殺は弱い人がするもので、恥ずべきこと。人には絶対、言ってはいけないもの」と考えていました。

父の死と向き合っている今だからこそ言えることなのですが、私の父は決して「弱い人」ではなかったと思います。私たち家族を裏切ったわけではなく、父は私たちを愛していたのだと思います。交通事故により「うつ病」という病気にかかり、「死ぬこと」しか考えられなかったのでしょう。

◆21歳大学生、男性、中2の時に父親が自殺

父が亡くなってからは、ただ勉強と部活にだけ集中しました。

そうすることでゆっくり考える時間をつくらないようにしていたのです。考えると、どうしても父のことを思い出してしまい、いらだちを覚えてしまう。

高校に入学した年の夏に、初めてあしなが育英会の「つどい」に参加しました。初めてぼくは自分の体験を話しましたが、自殺という言葉、その言葉だけがどうしても言えなかった。その一言を言うだけで、どれだけの時間がかかったかわからないくらい、何も言えずに、ただ黙っているだけの自分がいました。

しかし、その一言を口にして、自分史の時間が終わったあとには、何かこれまで胸の奥底にためつづけていた思いがスッと楽になったことを覚えています。

父の気持ちを考えるようになったのも「つどい」がきっかけでした。それまで、何かうまくいかないことがあると、父へ責任を転嫁してばかりいました。「お父さんが自殺なんかしたから・・・」と。

しかしそんなとき、父が唯一残した手紙の言葉が、ふと頭の中に出てきました。兄弟3人の名前があって、ただ「ごめんね」とある4文字です。

亡くなった直後に見たときは何も感じませんでしたが、「つどい」を幾度か経験するなかで、「きっと他に言葉が出なかったのだろう」と思いました。私たちを残してみずから命を絶つことへの悔しさやつらさがきっとあったのだろうと。

自殺が減ってほしい・・・、そのような気持ちがぼくにはあります。

でも、減ってほしいと訴えると、父の死を否定しているような気がして、やはり怖いです。減ってほしいと口に出せば出すほど、父が亡くなったことがすごく惨めに思えることがあるのです。

◆本を読んだ読者、40代、男性

自殺未遂をしましたが、もうしません。この本をお守り代わりにします。



なお、この本 「自殺って言えなかった」 の印税は、すべて、あしなが育英会の奨学金と「心のケア」の活動に使われます。(第137話 完)

 

 

 

◆ バックナンバーへようこそ
過去記事をカテゴリーに分けて、読みたい記事を見つけやすくしてあります。

 

 

◆ 心に寄り添うメッセージ集~シリーズ「君へ」
生きる希望を探している子どもたちに贈る、私からのメッセージ集です。

 

 

◆講演のご依頼をお受けします
子育て講演、PTA講演、生きがい講演、中高生向けのキャリア講演をうけたまわります。心あたたまる感動と、やさしい気持と、夢と希望をお届けします。

講演の詳細はこちら
講演に関連する記事一覧はこちら
講演のご依頼方法はこちら

 

 

◆少しでも多くの人に見てもらえるよう「人気ブログランキング」に登録しています。
ここをクリックして応援(投票)してもらえるとうれしいです。

 

 

◆みやた あきらの facebook はこちら