そして、助けを求めている人を助けないことは、単純に良い悪いでは片付かない。
【倫理】、【道徳】、【正義】は、とにかく現場では無用のコンセプトで、現実とかけ離れたトコロにしか存在しない。
そこで、現実に役に立つかも知れないトリックをひとつ。
『助けて!』や『悲鳴』より、『火事だ!』と叫ぶ。 この台詞がマシな場合がある。
少し単純過ぎる例を挙げる。 誰かが隣のアパートの中で殴られていている。 壁を通して聞こえる・感じる物騒な物音や気配。 喉で押し殺そうとしても、漏れてしまっているだろう泣き声や悲鳴。 何かすべきか? 【余計なお節介】をして、逆恨みされる可能性もある。 家族や守りたい何かがあれば、ヒーローを気取ってはイケナいこともある。 なによりも、手を差し伸べなくても、周囲には直接的・物理的な被害が及ばない。
被害者がいくら泣き叫んでも、助けを求めても、様々な理由で助けは来ない場合が多い。 児童虐待、DV、ストーキング等が社会問題とは言っても、結局は、当事者の問題だ。 社会問題(他人事)と認識される限り、それが何であれ、問題はなくならない。
そこで、『火事だ!』と叫ぶ。
聞き手にとって消音可能な悲鳴などと違い、【火事】の場合、【他人の問題が他人事では済まなく】なる現実味がある。
火事の怖さは、ほぼ全ての人々のココロに根強く認識されているので、『火事だ!』っと聞いた何処かの誰かが警察や消防に緊急連絡する【可能性】が高くなる。 密室だったアパートに、フル装備の【救助隊】が送り込まれる可能性が出てくる。
この生き残るためのトリックは、ニューヨークで暴力・性犯罪被害者のサポートをやらせてもらった時に、とても世話になったベテランから譲り受けた知識のひとつ。 もちろん、火のないトコロで、【火事だ!】と叫ぶのは簡単じゃない。 悲鳴をあげることすら、許されない場合が多いのだから。
千人近い被害者やクライアント達に、このトリックを伝えた気がするが、実際に使った被害者の話を聞いたことがない。 きっと、同じ顔をした被害者に会わなかったからかも知れない。
助けを求める声が聞こえたら、【誰か】が【警察に電話くらい出来る・するべき・するだろう】と思えるなら、ある意味、ソレはとても幸せなこと。 助ければ助けるだけ、そんな声にすら、そんな声だけでは、反応できなくなる場合だってあるから。
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