医者である内海聡氏の障がいに関する発言とその炎上について、
思うところを書いたFB記事(2015年6月)が選挙中に改めて問題視され、
多くの当事者の皆さまからご意見をいただきました。

農薬や大気汚染、水質汚染、放射能などの社会毒、
あるいは食生活やライフスタイルが、障がいに影響する可能性を指摘した内海氏の発言を受けて、
障がいを持つ子どもを産んだ人も、そして社会全体も、
そうした事実を受け止めて「反省」し、
と同時にその子を大切に、そして社会の側もそれを受け止めることに障害のない社会にしよう、
という主旨のことを書きました。

「内海さんが言いたいのは、これから産む人も含めて、そういう事実を大切に、体を大切に生きていこう、大切にできる社会を作っていこう、そのために国や企業が広める情報だけを鵜呑みにせずみんなが賢くなっていこう、ということに読めるんだが、間違ってるかな?そして、障害をもつ子を産んだ人も、そのことを反省しつつも、その反省を生かしながら障害とともにその子を大切にしていこう、そして障害を受けとめることに障害のない社会にしていこう、というふうに読めるんだが、ちがうのかな。」

しかしながら、
障がいを持つ当事者、あるいはそのことで悩み、苦労をされてきた親である皆さん、
に対して「反省」という言葉を使ったことが間違いでした。

この数日、
ある方とは電話で直接お話しさせていただき、
ある方とはメイルやDMでやりとりをしました。
また、多数のご意見をコメント欄にいただき、それらも全て読みました。

そこには僕が見落とし、思い至らないことがありました。

それは、
他人には想像もつかないくらい、
皆さんが自分を責め、親を責め、
あるいは親御さんも自分を責め、傷ついて、苦しんで生きて来たという気持ちです。

障がいの実態について、
専門的に詳しくもない立場で、
「反省」という言葉を選択した僕の投稿が、
多くの当事者の皆さんを傷つけてしまったことをお詫びします。

申し訳ありませんでした。

そして、非常にデリケートでナイーブなその心の内を、
率直にお伝えいただいた皆さんのおかげで、
「障がい」という言葉そのものに宿る差別性について
深く考える機会を持つことができました。

この言葉を用いるときに、
どれくらいの慮りが必要かも、
改めて深く考えさせられました。

今後も、
「障がいを受けとめることに障害のない社会にしていこう」
という気持ちに変わりはありません。

例えば、パラリンピックという分離ではなく、
混合できる競技もあるのではないか?
そういうことを提案していこう、というご意見もいただいています。

また、
2013年の僕の選挙を撮ったドキュメンタリー『選挙フェス!』の監督・杉岡太樹が
今、ブラインドサッカーのドキュメンタリーを製作中です。
こうした糸口から自分なりに世界を広げて活動していこうと思います。


「お前のこと支持してたうちの母ちゃん泣かして、どうしてくれるんだ」
というお声も頂きました。

母ちゃん泣かせてごめんなさい。


そしてまだまだ、至らないことの多い三宅ですが、
また一つ、目を開かせてくれて、
ありがとうございます。

引き続き、
ご指導、ご鞭撻のほど、
よろしくお願いいたします。



*これ以上、傷つく人を増やしたくないので、
当該記事は削除させていただきます。