僕が不信を抱く企業の名前がオンパレードの反シオニズム画像の拡散によって、当地イスラエルからも多くの批判や意見を頂いたので、ここにひとまず、所感を述べておきます。これはさきほど、FBにもアップした記事と同内容です。勉強していくしか、ないわな。お互いに知ってること知らないこと、感じること、正直に伝えるしか、ないわな。






まずはガザへの空爆というニュースから始まり、そのショッキングな映像などの拡散から、日本でも僕を含む多くの人間が感情を揺さぶられてそれらを伝え、拡散し、その行為の中止を願った。とりわけ集団的自衛権や解釈改憲などのタイムリーな問題の起きている最中だけに、平和憲法9条に守られて来た多くの日本人の軍事行為に対するナイーブさは、強く刺激されたのだと思う。
(それは時に余りにナイーブだし、無知だし、しかし原理的、或いは理念的には決して間違った感情ではない。ただ、無知は是正されるべきだ。そしてどんなに学習してもニュースを紐といても、各々にこの地上で起きているドラマの全てを偏りなく知る事はまた、不可能だという事も確かだ。故に伝え合うことがとても大切だ。)

そこへ、これまで余り伝わってくる事のなかった現地の声として、イスラエル在住の多くの日本人からの声が寄せられた。少なくともここ100年ほどの歴史的な経緯を観ると、イスラエルという国の存在そのものが支配と侵略の連続に依って成り立つ事が、僕には否定できないが、よりクローズな目線で観るとイスラム原理主義のそれに対する抵抗が、様々な勢力の糸引きで複雑に構成されている事が解る。イスラエル市民にとっては信じられない残虐性や卑劣性をもって展開されるテロ行為があり、パレスチナ市民にとっては余りに軍事的均衡性を欠いた武力攻撃がある。とにかく、こういう事が起きるといつも犠牲になるのは、双方のエリアに暮らしている政治的な直接性を持たない子どもたちを始めとする一般市民だ。イスラム過激派ハマスのロケット弾攻撃がその回数と破壊力を増しつつあるという状況の中で、イスラエルは彼らを特定して攻撃しようとしているが、テロリストと一般市民の境目はそもそもあやふやだし、攻撃目標が常に的確に武装集団だけを捉える事は不可能である。ガザは余りに人口密度が高いし、一般市民の中にハマスを支援する者も居る。分別は不可能だと思われる。

もう其所に、イスラエルという国が出来てまもなく1世紀近い時間が経とうとしているのだから、その一般市民たちに「立ち退け」というのは難しい事だと思う。だが一方で、其所から実際に立ち退かされたパレスチナ人が居て、彼らの感情が全然、この問題をクリアしていない事も事実である。オスロ合意は、アラブ連盟にとっては2006年のイスラエルによるガザ地区・レバノン侵攻をもって事実上、無効化している。

日本に在住し、環境問題を余りに疎かにした社会や世界の変化をうながしたくて1度選挙に立候補して落選した事のある1ミュージシャンとしての僕が、この問題について日常的に時間を割いてきた事はなかった。マクロな視点で、中東における米国やイスラエルの軍事行為に対して否定的な感情を抱いて来た。また、それに抗うアラブ世界のテロ行為そのものは認められないが、その根幹に横たわる感情は察して余りあるものを感じて来た。他方、その背景に中東世界の正義を盾に、旧い因習と恐怖で中東世界の市民を牛耳ってきた支配者たちの存在も認知できる。

自分の感度に従って発信する事、またそこに与えられる様々な声から情報を得て、また自分の感度に沿ってそれらを発信する事しかできない。果たして僕らは「情報精度」のためにタイムリーな発信を黙するべきだろうか?僕はそうは思わない。それはこれまでも、あらゆる問題に対する僕の基本姿勢であり続けた。だから、この政治音痴の僕が選挙に出るという大それた行為をとれたし、それを通じて自分を含む多くの市民が知らなかった事や無関心を克服して、一歩前に歩みだせたと思う。その中には常に、苛烈な議論が生じて来た。僕はアイヌ民族の言葉を借りて、それらをチャランケと呼んだ。このチャランケという言葉の用法を巡っても、アイヌの民族史や民族感情の複雑さを刺激して、アイヌの方から批判も来たし、今も議論が起きている。果たして、自分が心底適切にこの言葉を理解し、借用できたのか、それは今でも日々自問自答している。だから実は、選挙期間の途中から僕はチャランケという言葉を使わなくなり、より「話し合い」の意義のつよい「ウコイタク」という言葉を使ったが、その事は余り周知される事はなく、選挙後にチャランケの誤った用法をそこかしこで目にする事になる。選挙フェスのインパクトから、当初の誤った用法が一人歩きをしているし、その収束に僕はこれからも努力を要するだろう。それでも、真実は誤解と訂正、そして議論の中からしか導きだせないという信念には変わりはない。誰しもが常に、バージョンアップしながら、成長していく権利を有しているし、過去の発言に縛られたり解放されたりしながら、暴力的で破壊的な今の地球社会の世相を改めるべく前に進むチャンスを与えられている。正解だけを述べよ、と迫る態度は、言論的なファシズムへと直結する行為だと考える。

僕の意見がある立場の人にとっては不利益となる事はあるだろうし、それ故に意見や批判がくることは承知している。だからといって、己の感性に嘘はつけないし、それが常にある世界や社会におけるマジョリティの支持を得なければならないとは思わない。「政治的な立場としてそれはどうか」という意見も来るが、そもそも云いたい事を言えなくなるのなら選挙に出た意味がないし、より現実的に言うのなら僕は現在、落選したために政治家ではない。一般市民だ。「影響力を考えろ」という意見もあるが、影響力のために言論に慎重になる事は求められたとしても、過度にそうした要求をする事で、何より政治家たちの本音を聞けなくしてしまったのはそうした市民の圧力だったのかもしれない、と今、この立場でこそ気づかされる。

ただし。
ここまでは抽象的な表現を用いてきたし、結論にはまだ至れていない部分も多いのだが(中東問題に対する結論など、僕が出せるとも思っていない)幾つかハッキリとさせておきたい事がある。


ひとつは、今、ここ数千年という、もっとも最近の人類史に横たわって来た暴力の連鎖を停める時が来ているということ。我々はそのAGEに居るという自覚を持つこと。
そのためには、沢山の意見に耳を傾けながら、報復的な感情や、民族的な感情、そして家族的な感情すらをも乗り越える必要があるということ。
我が子を守りたいのは、例えばこの問題の場合、イスラエルでもパレスチナでも一緒だが、そのことは相手を殺していい理由にはならないということ。

ふたつ目は、安易な民族批判、とりわけ一般市民を統合的に批判する事など不可能だし、そんな態度は政治を語る上で決してとってはならないということ。
今、地球で起きている問題の多くは、政府やそれを支援する経済体、企業が起こしている問題であって、そこに市民の一人一人がダイレクトに関与する権利は、相当に限定されているということ。だが、それらの問題のしわ寄せは、大抵、一般市民のもとへやってきて、最悪の場合は心身の安全を失わされるということ。

だから今、そうした特権的な領域と化して来た政治や経済に対する主体性を、全地球的に「市民」と呼ばれる人たちが獲得する努力を、現実的にしていかなければならない、ということ。そのためには、これまで避けて来た議論も、若しくは深くは知れない事に関する発言も、積極的にしていかなければならないということ。そして何より、大衆煽動に乗っからないための知識や、リテラシーを、数々の失敗を繰り返しながらも、(恐らく)数十年かけて我々は得ていかなければならないということ。その中で、言葉の得手不得手、学力や知識の差によるヒエラルキーを構成してはならない、ということ。

そして、それらの主体性(自己決定権)は、支配層ではなくて、70億人近い一般市民の賢明な気づきと平和的コミュニケーション、そしてライフスタイルの選択によってしか、得られないということ。それらは、現存する政治システムを用いても、圧倒的多数の市民がその批判者や消費者ではなく多様な形態での積極的な「参加者」になれば、時間はかかったとしても大部分は実現可能であるということ。

そのための議論を、やめてはならない、ということ。
批判を恐れて、黙してはならないということ。
とりわけ、自己存在の賢明さを演出しようと、或いは過ちを恐れて、黙することは最大の現状肯定につながるということ。

最後に、全てを理解し合う事は不可能でも、理解しようと努力する事を永遠に諦めないこと。






ガザにもテルアビブにも、不安と恐怖におののく日常を生きる母や子が、そして父たちが、今この瞬間にも存在しています。今のところ、このコメント欄にはイスラエルからの声が多くて、状況的に当然なのだが、ガザからの声はないのだが、その双方の市民の一刻も早い平穏な日常の構築を願い、また停戦のためのあらゆる譲歩と話し合いの姿勢を、イスラエル政府とパレスチナ自治政府に求めます。

国際社会には、あらゆる暴力行為に対する厳しい態度をのぞみ、それらの解決の糸口は、それこそ「言葉の戦争=チャランケ」に求めます。全ての市民に可視化された開かれた場での、徹底した話し合いの場を設けることを国連のような機関には、求めたいです。その提案の方法を、探ることを始めようと思います。


沢山の切実な意見を寄せてくださり、またコメント欄での活発な意見交換を進めてくれている皆さんに、心から感謝しています。ありがとう。

one love.
常に不完全なる
三宅洋平 2014.7.14.

http://blog.canpan.info/jig/
『真剣勝負が始まるかイスラエルハマース』 [2014年07月09日(Wed)]

イスラエルがパレスチナの領土を、支配して久しい。そもそも、現在イスラエル国家と言われている土地は、パレスチナ人のものであった。一部はパレスチナの不在地主がユダヤ人に売却し、一部はユダヤ人テロリストによる戦闘の結果として占領支配しされるようになった。そして国連の分割があり、その後には、4度の中東戦争によって、より一層の土地の占領が起こり、その占領地の定着が行われた。
1947年のイスラエル建国以来、パレスチナ人が独自に戦った解放のための戦闘は、皆無に等しい。故アラファト議長は世界を舞台にした宣伝マンであり、パレスチナ問題を世界に認知させた功績があるが、彼の戦闘服は一度も、血に染まったことが無かったのではなかったか。
その後のパレスチナのリーダーたちも同様であろう。それで大衆は業を煮やし、インテファーダなる投石の闘争を始めたのだ。それはそれなりの心理的効果を、イスラエルと国民に及ぼした。
全く抵抗する姿勢を見せなかったパレスチナ人が、イスラエルの兵士に対して、投石だけで戦い始めたからだ。そのインテファーダは2度行われたが、その後はインテファーダを始めるぞ、という掛け声だけは聞こえるが、実際には起こらなくなった。
しかし、そうした無抵抗の中で始まったのが、ハマースとガザの過激派による、イスラエル南部地域に対するロケット攻撃だった。やっと飛距離を飛ばす程度のロケットであり、イスラエル側に対してしかるべき被害を、もたらすことはなかった。
だがその自家製のロケット弾は、次第に改良されかつガザとエジプトを繋ぐ秘密のトンネルから部品が密輸され、次第に性能を上げていった。その数も数百あるいは千の大台に達していると言われるようになっている。
最近の攻撃ではハマース側が『ハイファ、テルアビブエルサレムも射程距離に入った。』と豪語しているが、実際にガザから放たれたロケット弾が、エルサレムやテルアビブにも届いているようだ。
最近になってこのガザからの攻撃が本格化し、先週の月曜日から今週の初めまでの間に、117発のロケット攻撃が行われた、とイスラエル国防省は発表している。そのほかに29発がアイアン・ドームのミサイル防御システムで、撃ち落とされたということのようだ。
この事態を重く見たネタニヤフ首相は、当然のことながらパレスチナ自治政府のマハムード・アッバース議長に、ハマースの攻撃を阻止するよう働きかけるのだが、マハムード・アッバース議長には、どうやらハマースに命令を下す能力はないようだ。マハムード・アッバース議長はただイスラエル側に対して、ガザへの攻撃を中止してくれるように、頼みこむだけのようだ。
事態を重く見たネタニヤフ首相は、4万人の予備役を招集し、長期戦を行うつもりのようだ。事実、ネタニヤフ首相は長期戦を、覚悟していると語っている。現在のところ行っていないが、イスラエル側は空爆だけではなく、最終的には陸上部隊を、ガザに侵攻させなければなるまい。その場合に想像される、イスラエル・パレスチナ双方の人的被害は甚大であろう。