◆映画:スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。
現在、「いいね」返しが出来ません。

▼写真AC:J1KQさん提供のフリー素材
「チェコ - チェスキークルムロフ街並み」


1939年9月、ドイツ軍は2週間でポーランドを制した。
ユダヤ人には大都市へ移動命令が下り、クラクフには毎日1万人以上が流れ込んだ。

オスカー・シンドラーが、ナチスのバッジを胸に付けた。
1人高級なレストラン。
制服を着た軍関係者も入って来て、ドイツ軍たちが歌い出した。
シンドラーはここで軍関係者と顔見知りになっている。
シンドラーは、教会などからヤミの売買を始めた。

ユダヤ人評議会:選出された24人のユダヤ人がドイツ政府の命令に従って強制労働の班分け、食糧や住居の割り当て、苦情相談を受ける。

1941年3月20日、全ユダヤ人はゲットー(ユダヤ人居住地)へ。
移民は名前を告げ、タイプされた。
クラクフに集められた彼らはヴィスク川の南岸、壁に囲まれた0.24.平方キロの狭い地区へ押し込まれた。
ユダヤ人は星の腕章を義務付けられた。

シンドラーは、経理士:イザック・シュターンをスカウトして、ドイツほうろう容器工場を立ち上げた。
軍の閣下に賄賂を差し出し、更新を許可された。
妻がやって来たが、帰って行った。

ドイツ軍は、ユダヤ人から奪ったカバンの荷物を分別していた。

1942年の冬、クラクフのゲットー
アーモン・ゲート少尉が着任した。
プワシュフ強制収容所が建設中。
ヘレン・ヒルシュがメイドとして選ばれた。

1943年3月13日、ゲットーの解体
ユダヤ人が家を追い出された。
病院の入院患者は劇薬を飲まされ、ケガ人も射殺された。
シンドラーは丘の上からこの惨状を見ていた。
1人の女子だけ赤かった。(黒澤映画『天国と地獄』のようだった)

家の中に隠れていた人たちも炙り出され、銃殺された。
シンドラーの工場は鍋だけが残された。
助かった者は集会所に立たされた。
少尉はバルコニーから狙って、ユダヤ人を銃殺した。
シンドラーは大尉に従業員を返せと抗議した。
大尉「君はサイドビジネスを続けたい。自分の城を持っていたい」

シュターンはしばらく別のところで働かされた。
一時的に、シンドラーの面会が許された。

プワシュフ強制収容所内金属加工工場
1分で蝶つがいを作れる男や、頭のいい少年:アダムが、シンドラーの工場に引き抜かれた。

エルザ・クラウスがシンドラーを訪ねて来た。
勘違いした女性だった。「ここは天国だと聞いています。両親を助けてください」
シンドラーは、クラウスの両親を雇うことにした。

シンドラー「ゲートは重い責任を負っている。すべてに目を配り、囚人の処置に頭を抱えている。戦争は常に人間の最悪の部分を引き出す」
シュターンはゲートについて「逃亡者を次々と射殺した人殺しだ」
シンドラーはやんわりと大尉の説得を始めた「皇帝が命乞いした盗人を放免した。それが本当の力だ、アーモン」
しばらく大尉は、ユダヤ人のミスに対して大目に見るようになった。
しかし、堪忍袋の尾が切れて少年を射殺した。
大尉はヘレンに手を出そうとしたが、やめて殴った。

シンドラーの誕生日のお祝い。
(この時に若いユダヤ人女性にキスした)
女性労働者の寝室では、毒ガスの噂。

翌朝、ユダヤ人が集合広場に集まるように指示。
全員裸で走り回され、健康かどうかのチェックを受けた。
子どもたちがトラックに載せられた。
何人かの子どもたちは隠れて免れた。
シンドラーは抗議した。

シンドラーは人種再編成法違反で逮捕。
「ユダヤ娘にキスしたことぐらいか?」
大尉が証言して釈放された。

1944年4月、フヨヴア・グルカの丘
プワシュフ収容所とゲットーで殺された犠牲者1万余の死体に焼却命令が出た。
雪ではなく灰が降っていた。
腐敗した遺体の異臭。
大尉「ここは閉鎖、全員アウシュビッツ送りだ。輸送手配をせねばならん」
シンドラー「俺は故郷へ帰る。戦争が終わったら、君と一杯飲もうと」
シュターン「今飲みましょう」

従業員をチェコへ輸送することになった。
「新たに訓練するのは大変だ。即戦力になるのは、彼らしかいない」
シュターンがタイプでリストを入力して、現金を用意した。
シュターンはシンドラーに「これは生命のリストです」
メイドのヘレンをめぐって対立。
大尉「故郷に連れて帰りたい。それが出来ないなら、苦痛にならない等に 背後から打つ」
取引が成立した。
雪の積もる中、汽車の中でアダムがつららを折って飲み水にした。

チェコのブルネネック・ブリンリッツ
シンドラーの生まれ故郷
シンドラーは皆に「女たちの列車もまもなく到着するはずだ。長い旅だったが、工場はここからすぐだ。熱いスープとパンが待っている。ブリンリッツへようこそ」
女性たちはアウシュビッツへ送られ、髪を切られた。

シンドラーは所長に宝石をちらつかせ、300人を回す交渉が実った。
女性たちは再度貨車に乗せられた。
子どもたちが連れ去られそうになったが、「うちの子だ」シンドラーが駆けつけた。
ブリンリッツに到着した。
シンドラーは兵士たちに「うちの従業員を理由もなく殺すな」
そして大尉に「君の協力のおかげだ、感謝」兵士に酒を振る舞った。

シンドラー社の戦車もロケット砲も検査不合格になった。
シンドラーはシュターンに「君は本当に使い物になる砲弾を作りたいかね?」
操業開始から7ヶ月で、工場は生産量ゼロ。
食費と役人へのワイロに数百万マルクが消えた。

ドイツの無条件降伏。
ユダヤ人に「君らは自由、私は追われる身だ」
兵士には「立ち去ってもいい、人間として家族の元へ」兵士たちは立ち去った。
3分間の黙祷。

従業員の金歯を溶かして指輪を作成した。
シュターン「あなたはこの1100人を救ったんです」
シンドラー「もっと救えた、救えたのに」不満だった。
やがて車に乗って故郷に帰っていった。
ソ連兵士が来て「ソ連陸軍の名により君らを解放する」町の方向を指さした。

アーモンゲートは逮捕され、クラクフで絞首刑に処せられた。
オスカー・シンドラーは戦後、結婚にも事業にも失敗。
1958年エルサレムに招かれ「正義の人」に選ばれ、ホロコーストの前の正義の通りに植樹を行った。
その木は今も成長を続けている。
シンドラーに救われ、今も健在なユダヤ人々。
(1993年アメリカ作品)
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字幕スーパーが適切に入って、物語がすごく理解できた。


前回の「キャッチ・ミー・イフ・ユーキャン」の記事はこちら(2021年8月9日)
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では、明日。