▼写真AC:けいごkeigoさん提供のフリー素材「源氏山公園の源頼朝像」
実朝は夢にうなされた。
後鳥羽上皇が現れ「ともに日の本を治めようぞ。北条に惑わされるな」
泰時を呼んで「父上が作られたこの鎌倉を、源氏の手に取り戻す。上皇様をお手本にする。お前の力を借りたい」
泰時「私も北条の者ですが」
実朝「義時に異を唱えることができるのはお前だけだ」
泰時「鎌倉殿のために、この身を捧げます」
日照りが続き、作物が採れていない。
実朝は、部分的に3分の1に納めるように決めた。
義時は泰時が実朝の後ろにいることに異を唱えた。
実朝の強い要望で、側近として評議に加わることになった。
りえが義時に「執権になってしまえば」
隠居している二階堂(りえの父)も同意見だった。
執権は、思うままにやってきた父・時政の悪因所があるため、義時が避けて来た肩書だった。
大江は目を患っていた。
不作がどれくらいのものなのか、義時は時房を行かせた。
実朝は「慈悲深い名君にならなければならない。聖徳太子様は、尊いお生まれに満足されることなく功徳を積まれた。私の道しるべだ」
源仲章が、東大寺大仏殿の再建をした、陳和卿を連れて来た。
陳は、実朝のことを育王山の長老の生まれ変わりだと言って驚かせた。
実朝は夢日記を付けていた。
陳の言うことが夢と重なって、実朝のテンションが高まった。
「大きな船を作りましょう。それで宋へ渡り交易を行うのです」
仲章も「聖徳太子様もかつて隋へ使者を送られました」
実朝「すぐに取り掛かってくれ」
丹後局が鎌倉にやって来た。
「私とあなたは大きな力を持つ者のおそばに仕えた似たもの同士」
政子が愚痴をこぼしたら「いいかげん覚悟を決めるのです。人並みの人生など望んではいけません。何のために生まれて来たのか、何のために辛い思いをするのかいずれわかる時が来ます」
船のことを聞いて義時「余計なことを。御家人たちの負担が多すぎる。それを案じておる」
陳は、鎌倉殿の夢日記を見ることが出来ないが、あの部屋に出入りするものなら誰でも見られる。
泰時は「前もって見ることが出来る人物として」源仲章の名前を挙げた。
義時「西のお方が糸を引いているということか。この船は坂東のためにはならぬ」
泰時は八田に手伝って欲しいとお願いした。
由比ヶ浜の海岸に大きな船の骨組みが作られた。
八田は「帆は布じゃないのか」と驚いた。
陳「竹で編むのだ。重くなっても、柱を頑丈に作ればいい」
義時は政子に「上皇様の言いなりです。これは、頼朝様のご意志に反します。鎌倉殿には退いてもらいます。このままではいずれ坂東の御家人全てを敵に回します。お許しいただけますね、尼御台」
実朝「いずれあの船に乗って、かの国へ行ってみたい。お前がいると心強い」
泰時、千世を連れて医王山へ行きたいともらした。
義時「御家人から不満が出ております。上皇様にそそのかされて作った船など必要ござらぬ。船は中止だ」
実朝は「もうよい、船は中止だ」
泰時「船に建造に当たった御家人たちの名前を記すのです。絆の証となるのです」
政子は大江を呼んで相談した。
大江「鎌倉殿にとって何が必要なのか。あとは尼御台のお気持ち一つ。逃げてはなりません。あなたがその妻になられたのです。頼朝様の意志を継いでこの鎌倉を引っ張っていくのはあなたなのです」
政子「皆を集めなさい」
船の作業は続行されることになった。
八田は三善に「船は4月には完成する。俺はこの仕事を最後に隠居しようと思っている。最後に夢のある仕事に出会えたこの船が完成すれば、思い残すことはない」
1217年4月17日、船が浜にめり込んでしまった。
陳「これでは、船が重すぎる」
みんなで引っ張った。
三善まで出てきて引っ張ったが、腰に負担をかけた。
八田は上着を脱いだが、船を海に浮かべることが出来なかった。
実朝もべそをかいた。
後ろから政子が抱いた。
政子「やるなら、とことんやりなさい」
実朝「しかしどうすれば」
政子「母は考えました。あなたが鎌倉の揺るぎない主人となる手を」
実朝は御家人を集めて「家督を譲る。鎌倉殿を辞し、大御所となる。外から養子を取ることにした」
義時「公暁様がおられます」
実朝「仏門に入られた。朝廷に連なる、特に高貴なお血筋の方をもらい受ける」
義時「鎌倉殿は武士の頂に立つ者のことでございます。そんな事をお一人で決めてしまわれてはならない」
政子が「鎌倉殿の好きにさせてあげましょう。すぐに取りかかりなさい」
この反応に義時はびっくり。
政子「あなたが言ったのですよ。北条あっての鎌倉でなく、鎌倉あっての北条。まずは鎌倉のことを考えなさい」
泰時「鎌倉は父上一人のものではない」
義時「黙れ」と怒鳴った。
後で義時「このままでは済まさん・・・」
そして、公暁が戻ってきた。
その頃泰時は伊豆の時政の館へ。
時政は膝を悪くして歩くこともままならない。
「父上から見舞いを預かってまいりました」
りくは京に戻ってしまったことを聞いた。
時政「政を離れて久しいが、今が一番幸せだと思ってる」
サツキが時政の面倒を見ていくれている。
時政は78歳で生涯を閉じた。
前回の「鎌倉殿の13人」の記事はこちら(2022年11月6日)
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では、明日。