◆NHK大河ドラマ・鎌倉殿の13人 第27回 「鎌倉殿と十三人」 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。
現在、「いいね」返しが出来ません。



1199年一月、頼朝の悲報が京に伝わった。
後鳥羽上皇(尾上松也)「馬から落ちたか?」
頼家について「頼朝の跡目さぞ重かろう」

鎌倉では、政子尼から、偽物のドクロが頼家に授けられた。
「すべてがこのドクロから始まった。偽物が人々の心を動かした」
頼家「私は父の成し遂げたこと、またかなわなかったことを引き継ぐ、そのうえで、父を超える」
比企と時政で「何かあれば私を通せ」と主導権争い
頼家「訴えがあれば、直接私に言ってくれ。家の名で人を選ぶことはしない」

梶原「頼朝殿は最後まで御家人を信じておりませんでした。それがしを除いては」
頼家「肝に銘じておこう」

それぞれ自宅で
比企「比企をないがしろにして、鎌倉ではやっていけぬことを、身をもって知ってもらおう」
時政「鎌倉殿も立派になられたもんじゃ」
りく「一枚岩だと思われていた比企と鎌倉殿が引き離されたことが明らかになった。これを喜ばずにはいられますか」

京・院御所
後見役の土御門通親の暗殺計画が発覚した。
捕らえられたのは、一条高能ゆかりの御家人たち。

頼家は、中原親能に、朝廷との交渉役に命じた。
捕らえられた中に文覚の名もあった。
「これ以上関わりを持つのは無用。文覚のお裁きは上皇様におまかせする」

実衣は、結城朝光から琵琶を習うことになった。

頼家が若い者を集めた。
かつての後白河上皇の側近の平知康が蹴鞠をコーチした。
なぜか蹴鞠は、時連が上手だった。

訴訟が山のように届いていた。
和田と梶原が侍所別当の座で揉め始めた。
頼家は呆れて出て行ってしまった。

正室のつつじが御台所から心得を教わっていた。
側室・せつがしゃしゃり出て来た。

比奈は頼家について「困った時こそ助けてくれと言えない性分なんです。気持ちはわかります。私も八重さんと比べられたものです」

義時は文官4人に梶原を加え5人で引き受けることを決めた。
頼家「それが一番の道なのだな。あいわかった」
6人衆から・・・
北条を増やせ、比企に近い安達も、北条は三浦義澄も加え、和田まで誘い入れた。
三浦義村は「三浦から2人も入ったら角が立ちます」と断った。
畠山も断った。
畠山が義時に知らせてくれた。
比企は八田に声をかけていた。
梶原「知らぬ間に12人になっている。比企は文官たちを取り込もうとしている。つまらぬ内輪揉めに使われては困る」

政子は義時に「もう一人、叔父としてそばにいてあげて欲しいのです。13人目はあなたです」

頼家に13人になったことを報告した。
義時「少しでも鎌倉殿がやりやすい形を探っているのです。どうか我ら御家人をお信じください。頼朝様も初めから鎌倉殿だったわけではありません。新しい鎌倉を皆で築いていきましょう」
頼家「13人とは、増えたものだな。もうよい、わかった」
頼家は涙を流した。

頼家は御家人を集めた。
頼家「むしろ誰か一人に力が集まらないのが好都合、わしも同じだ。紹介しておきたい者がいる」
時連などの若手が紹介された。
「信じられるのはこやつらだけ。お前たちと切磋琢磨してのことだ。新しい鎌倉を皆で築いていこうではないか」

梶原「頼朝殿はいささか亡くなるのが早すぎたな」


前回の「鎌倉殿の13人」の記事はこちら(2020年7月10日)
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http://ameblo.jp/miyacar/entry-12752725141.html

では、明日。