◆歴史探偵「鉄道開業150年」 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。
現在、「いいね」返しが出来ません。

2022年は鉄道開業から150年。
当時は明治初期。
文明開花は鉄道から始まった。

1871年にイギリスで製造された輸入蒸気機関車。


新橋から品川、川崎、横浜を結んで29キロを53分で結んだ。
それまでは徒歩で10時間、人力車で半日かかっていた。

新橋から品川は海の上を走っていた。
その発掘現場は、山手線高輪ゲートウェイ駅近くの工事現場。
線路を撤去した後に見つかった。
現れたのは高さ4メートルの石垣。
堤(高輪築堤)を作って、列車は海上を走っていた。

レールはイギリスから輸入していた。
機関車や線路の大部分をイギリスに頼っていた。
台場は幕末に黒船を迎え撃つために作られた人工の島。
そのままの石垣が残っている。

布積みという積み方。
石材を半分ずつずらしながら積み上げていく置くことで、横揺れに対応出来る。
これは高輪築堤と同じ。
日本で培われた技術が台場を経て、鉄道の建設に生かされていることがわかる。
石垣を囲むように、杭が打たれている。
日本最初の鉄道には、日本の知恵と技術が生かされていた。

発掘された石垣その下を船が行き来していた。
石と石の隙間には漆喰を使っていた。
当時まだセメントは無い。
耐水性があったため、適した素材。
逆にセメントだと酸化してボロボロになっていたはず。

1869年(明治2年)大隈重信と伊藤博文は当時財務担当の役人だった。
外国の蒸気機関車の話題で意気投合。
鉄道が日本の近代化に欠かせないと考えていた。
大隈は佐賀藩出身。
佐賀藩は日本初となる動く機関車の模型を作っていた。
伊藤はイギリスへの留学経験があり、多くの人や荷物を遠くまで運ぶ鉄道を目にしていた。

2人は政府の会議に鉄道建設の必要性を説いた。
壮大な計画なものだった。
東京、横浜、神戸など、主要な港がある場所を全て結ぼうとした。
大隈が鉄道建設を急ぐのには、理由があった。
明治2年は飢饉などもあって、物資輸送の必要もあった。
明治2年11月、国は鉄道計画を正式決定した。
2人は責任者として全権を委任された。

しかし、大きな壁が立ちはだかった。
西郷隆盛からの反対意見。
西郷は、優先させるのは軍備だと主張した。

資金不足となった。
建設費用は現代の価値にしておよそ1000億円
当時の国家予算の半分にあたる額。
国債を発行したが、資金は集まらなかった。
イギリスに50万ドルの借金をし、計画も大幅に縮小
新橋、横浜間になった。

またしても西郷隆盛からの横やり。
当時の高輪地区は一般の住まい、軍用地、寺もあって、用地買収は難航が予想された。
西郷一派は、軍用地を譲らない、土地の提供をしないと通達した。
海の上に通すのは、大隈の大英断だった。
元々佐賀藩は、長崎湾に台場を作っていた。

当時の座席表では、西郷も大隈とが隣同士だった。
大久保利通も最初は反対派だった。
仮開業の乗ったのちに「百聞は一見にしかず」と語った。

当時の車両は?
さいたま市の鉄道博物館には開業した時の蒸気機関車がある。
輸入された時と今とでは形が違って、後年に手を加えて、この姿になっている。
3号機の写真が近いとされている。
客車は資料が乏しく、あまり姿がわかっていない。
明治5年の横浜駅の様子の写真がオーストリアで見つかった。
客車が映っていた。
機関車入れて10両。
車輪のところの板バネの長さが客車によって違うことがわかった。
長いほど揺れが少ない、上等な客車である。

料金は、横浜まで1等 1万5000円
それでも乗る人が絶えなかった。
革張りのいすに下駄を脱いで上がっていた。
荷物はトランクだった。

横浜駅の写真の後ろには外国船がたくさん停まっていて、当時の緊張感が伝わってきた。

新しい風習が出来た。
川崎大師への初詣に行く人が詰めかけた。
今では当たり前の光景が、鉄道によって生まれた風習だった。
江戸時代の新年のお参りは正月の三が日だったわけではなく、その年の縁起の良い方向にある寺社の縁日に合わせて参拝していた。
ところが鉄道が開業すると状況は一変。
ちょっとしたゼイタクを味わえると、鉄道でお参りに出かけた。
さらに明治になって正月の3か日が休みになったことが、人気を加速させた。
初詣のスタイルが定着していった。

今までの「暮れ六つ(日没)」であると、6月は午後7時頃を指し、12月だと午後5時頃になってしまう。
このため、西洋の24時間制が導入された。

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日本最初の鉄道には、日本の知恵と技術が生かされていたことを知った。
東京から横浜まで1日かかっていたものが1時間で行けるようになって、人の行き来はもちろん、物流への影響も大きかったのだろう。
初詣という文化が根付いたこと。
西洋式の24時間制なんて、今では当たり前のものがこの機会に導入されたというののも、目からうろこだった。


経済探偵マチノミクス ~これからの品川・渋谷について~の記事はこちら(2022年5月16日)
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では、明日。