◆横浜そごう「水木しげる・魂の漫画展」 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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いつしか食べ歩きがライフワークになってしまった今日この頃。
美味しかった店はもちろん、雰囲気の良かった店を紹介していきます。
2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
ちょこちょこ地域別索引も更新中。
現在、「いいね」返しが出来ません。

横浜そごう
水木しげる・魂の漫画展
最終日ともあって大混雑
それでも僕たちが出た頃はもっと混雑


展示の撮影は不可。
入口のみOK。


あと3年で生誕100年になる。
本名は武良茂と言う。
生まれは大阪市で、鳥取県境港市で育った。
幼い頃から自宅に出入りしていた老婆のんのんばあ(景山ふさ)から妖怪の話を聞かされ、連れて行ってもらった正福寺の本堂の『地獄極楽図』にインパクトを与えられ、おばけや妖怪の世界に興味を持つようになった。

小学校の教頭先生から絵の才能を見出され、個展を開き地元新聞で「天才少年現る」と記事になったほど。

召集令状を受け、大平洋戦争に行くことになった。
北か南かどちらがいいか聞かれて、南と答えたところ、ラバウルに出征した。
ニューブリテン島で、空襲により左手を失った。
そのあと現地民・トライ族との交流が出来るようになった。
永住することも考えたが、両親のことが気になり、帰国を決めた。

帰国してから、神戸市のアパート・水木荘の大家となった。
打ち合わせの時に何度も「水木さん」と呼ばれ、ついには自分のペンネームとした。
水木は紙芝居作家としてデビュー。
紙芝居をあきらめ、漫画家になるべく上京。
40歳になる頃結婚するが、貧乏からは抜け出せなかった。

1954年に発表された『墓場の鬼太郎』が、出版社からのウケが良くなく、すぐに連載は終了になった。。
一部の読者から再開を望む手紙があって、単行本が出版された。のちの『ゲゲゲの鬼太郎』である。

週刊誌『少年マガジン』からのオファーで『テレビくん』を執筆し、講談社児童漫画賞を受賞。
『悪魔くん』頑張れ悪魔くん、負けるな悪魔くん
『河童の三平』行きは良い良い・帰りは怖い
主題歌の一部のみ覚えているテレビで実写化された作品たち。

水木は妖怪漫画の第一人者となった。
人物は簡素に、背景は実に緻密に描かれていて、こだわりを感じた。
草むらや群衆など丁寧に時間をかけているようだった。
当然家庭にコピー機など存在する前だったろう。

忙しくなり、アシスタント募集要項に「午後2時から午後10時まで」と自分のライフスタイルに合わせたかの募集だった。

1970年頃より、ドイツのヒットラー、新撰組総長・近藤勇、方丈記の鴨長明、陰陽師の安倍晴明などをモデルにした作品も世に送り出している。

あまり作品を知らなかった僕にとって、わずか1時間でたくさんのことを学んだ。
貧乏暮らしで苦労したが、信念を曲げずに創作に没頭したことにより、開花した。
戦争体験やトライ族との交流も、のちの作品にも影響を与えたとされている。

さすがにその道を極めた人のエピソードは興味深い。



▼この日は七夕


▼生島ヒロシさんのサイン会が八重洲ブックセンターで開催された
 (僕は別用で申込できなかった)



映画『バクマン』の記事はこちら(2015年10月10日)
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http://ameblo.jp/miyacar/entry-12082142989.html

では、明日。