ラグビー選手が話していた-最近コンビニや居酒屋へ行くとありがとう、と人から声をかけられる-と。

 

ベスト8入賞おめでとう、ではなくありがとうとは面白い。

 

私も昔、生徒が出場した全日本や世界大会に招いた知人から、いいものを見せてもらった、ありがとうと礼を言われたことがある。

 

これは観ていた人が、選手達が闘う姿を通して何かを思い出させてもらったからに違いない。

 

潰されても立ち上がり、懸命に肉弾戦を繰り返す戦士の姿から勇気、チームのために捨て身で突っ込む献身などの誠を感じたのだろう。

 

社会人として寄らば大樹的な思考や妥協、打算が当たり前となり、人として忘れてしまった大切な心を垣間見させてもらったことに対する礼の言葉がありがとう、なのだ。

 

思えば、試合後のラガーマン達からは青臭いとも言える言葉が多かった。

 

曰く-たくさんのいいメモリーとたくさんの仲間を得ることができた、めちゃ楽しかった、負けたくやしさより仲間とラグビーができなくなることのほうが悲しい、チームが大好きです-

屈強な男たちが涙ながらに語った言葉だ。

 

もし彼らが年間何億円等々も稼ぐ者であったら、ここまでドラマに出てくるようなセリフが口をついて出たであろうか。

 

プロ同士の闘いは凄味があり、ふてぶてしさを感じるが、初々しさや清々しさは感じられない。

 

闘う動機の全てが年俸や賞金ではないだろうが、自分を商品として考える彼らは残りのシーズンや来シーズンの活躍を常に頭のどこかで計算しているはずだ。

 

このたびのラグビーW杯での日本チームの活躍が日本中を席巻したのは彼らがアマチュアチームだったからである。

 

彼らが定めたベスト8入賞という壁を突破することができたのは、たゆまぬ基本(トレーニング、戦術)の繰り返しと変化、工夫そして気迫があったからだと思う。

 

今こそラグビー競技のプロリーグ化をという動きがあるようだが、私としてはアマチュアのままでいてほしい。

 

彼らのような人達が社会人としていてくれることの方が世の中に善い影響を与えてくれると考えるからだ。

 

 

 

追記

現在、ラグビー選手はプロ契約をしている人とそうではない人がいるとこれを書いたあとから知った。

しかしながら観ていて清々しかったのは確かだ。

次の壁へのチャレンジをしてほしい。