無恥

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あまり感情的になってはいけないので十日以上頭を冷やした。

 

やはり肝に据えかねる。

 

あの元都知事の記者会見。

 

果し合いに臨む侍の気分だの、座して死を待つつもりはない等威勢のいい言葉を並べておいてフタを開けてみれば豊洲移転は既成路線だった、議会みんなで決めたこと、水面下で決めたのは誰など個人名も出した(後に間違いだったと訂正)

 

本来であれば誰々が悪い誰それも悪い、だが私が一番悪い、法の裁きも甘んじて受けます…これが最高責任者の責任の取り方だろう。

 

一流大卒、若くして文壇デビュー、最高峰の賞も受賞。

 

国会議員に当選し大臣も務め総裁選にまで打って出た。

 

落選したもののその後都知事として活躍した。

 

才気と活力にあふれ、その思考は時に過激で世間を騒がせもしたが主義信条を持った作家、政治家、リーダーとして私も敬する部分があった。

 

それがあの責任逃れに終始した会見。

 

事の真相は今後泥仕合が必至で迷宮入りすると思う。

 

元知事は晩節を汚した。

 

もうひとり、大阪の国有地払下げ問題で私立小学校と財務省の間に立ち、口利きをしたのではとインタビューされた議員がいた。

 

ソファにふんぞり返って大威張りの暴君のような振る舞い。

 

代議士というのは国民に選ばれた代表にすぎない。

 

長年センセイなどと呼ばれ、大臣も務め齢七十半ばも過ぎればあれほど偉そうにしていても許されるのだろうか。

 

年寄りは威張ってもよいならばこれからの日本は威張った人間しかいなくなる。

 

威張る奴、ずるい奴、調子のいい奴。

 

世の三悪だが、往々にして威張る奴とずるい奴はリンクする。

 

真相究明に注目したい。

 

自分ももう年寄りだけれど目指すは好々爺(気のいいおじいさん)だ。

 

 

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変化

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潮目が変わった。

 

国際情勢である。

 

昨年、英国のEU離脱が決定。

 

これが追い風となり米大統領に誰も予想しなかった(訳はない)というより、この人だけはなってはまずいという男性が選ばれた。

 

TPPからの脱退やメキシコとの壁作り、中東・アフリカ7か国の入国拒否など連日メディアを騒がせている。

 

これらの事がさらに風をあおり、今夏の仏国や蘭国の大統領選でも右傾化が進むことが予想されている。

 

ナショナリズム民族主義と呼べば聞こえはよいが、今の欧米で吹いているのはポピュリズム、大衆迎合主義。

 

彼らに将来的な展望は何もなく、例えば難民や移民が経済や風紀を乱すから入国させない、のように不平不満層に迎合して支持率を増やしているそうだ。

 

議会制民主主義とは突き詰めれば多数決である。

 

今まで手を差し伸べられなかった国民の労働者である不満を持つ層の数が今回勝った訳なので、結果は受け入れるべきである。

 

だが私の心の中にある、戦争という事態へ向けての時計の針が大きく動いた気がする。

 

自国の利益を第一に考える、これは理解できる。

 

しかし他国のことは何も考えない。

 

これでは帝国主義が旺盛であった二十世紀初頭へ逆戻りだ。

 

毎日テレビで自論を展開する米大統領の高圧的で断定的物言いを観ているとどこかの独裁国家の方に似ている。

 

そう恐れるべきはポピュリズムからファシズムへ移行することである。

 

誰かが大衆をアジテート(扇動)してトップに上り詰める。

 

独裁者は自国の足りないパーツを隣国へ求め、吸収合併し歯向かえば急襲する。

 

戦争へ至る道は意外と近い。

 

だが、現在の米国の民主主義のシステムを見ると権力が分かれているようで(三権分立)大統領令であろうと司法が裁判に持ち込むことができ、一時的にストップが働いている。

 

独裁者を出さぬよう考えられた究極のシステムが憲法なのである。

 

日本国憲法にも権力の分散は唱えられている。

 

ある学者が言った、最悪の民主主義でも独裁者よりましであると。

 

これから数年はそれが続くのだろう。

 

私たちが目を光らせるべきは身勝手な政治家の出現だ。

 

今、私には気がかりなことがある。

 

現政権が掲げる新憲法草案に在る緊急事態の場合、権力全てが総理大臣に集中することだ。

 

そんなことはないと関係者は言う、だがその特例を悪用して独裁者になった政治家が過去に存在する。

 

アドルフ・ヒトラー、彼は近代最も民主的な憲法と呼ばれたワイマール憲法の元、出現したのだ。

 

同じことを繰り返す者は二度と現れない、誰がそう言えるのだろう。

 

 

 

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第四回極真連合杯

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前々回の連合の世界大会以来なので私にとって八年ぶりの訪沖であった。

 

自分の道場生が出場しているわけでもなく、偉そうに来賓などという立場で試合を観戦した。

 

決勝日、試合途中、選手の粗暴な行為により大会進行がストップした。

 

大山総裁がいたら即選手は失格、破門になっていたと思う。

 

だが試合は再開、問題の選手が勝ち進んだ。

 

国内外の試合中にみられる低俗なブーイングまたはヤジ、選手の粗暴な行動。

 

これらはすべて総裁亡き後に出てきた現象。

 

私たち空手関係者の責任である。

 

大会を選手を人を育成する武道としてではなく、宣伝のための道具、もしくは他派閥への示威行為程度に扱ってきたことへのいわば天罰だ。

 

極真空手関係者は過去自分がしてきたことから反逆されている。

 

上記のようなことも大会を面白くなくしている一要因になっている。

 

試合をみて感じたことがあった。

 

選手たちの攻撃は速く、それなりの威力をともなっていたが効いていないのだ。

 

まともに脚を蹴られているのに平気で動き続けている。

 

こと、下段蹴りに関して言わせてもらえば当たる角度がよくない。

 

スネや足の甲の硬さももう一つな感がある。

 

選手の体格は大型化しているが皆、尻が小さい。

 

大臀筋の発達こそが下段蹴りの威力へ直結する。

 

選手が高重量でのウエイトレーニングとスネ、甲など部位の強化をしていないのではと思える。

 

三回同じ箇所を蹴られたら、一瞬動きが止まり、審判の判断材料になり、そこから勝負の流れが決まる。

 

スネ受けしない選手は三回戦で倒される。

 

これが極真の試合だと考える。

 

今の選手の手数主体の組手は少年部での試合(防具着用)の影響もあるだろう。

 

だが真剣のように磨かれた下段蹴り、これがあれば無駄ダマは必要なくなり、日本刀のような技のやり取りはみている側にも緊張感と迫力を感じさせ、眠くなどならない。

 

選手のすべての能力を限界まで引っ張る。

 

指導者は己を磨き、まっとうな人物に育てるべく、選手を戒めるべきである。

 

沖縄の師範による演武があった。

 

十年以上ぶりで拝見した。

 

年季の入った味のある型と迫力ある氷柱割りはすばらしかった。

 

だが彼の筋骨隆々ではつらつとして輝いていた姿を知る者として時の流れを私自身の姿としてそこにみていたと思う。

 

他人の型をみて涙が出たのは初めてのことだった。

 

極真空手の真の繁栄を祈るものである。

 

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本流

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最近の空手の試合(テレビ放送)を観ると面白くない。

 

わたしだけかと思いきや、周りの三、四人が同じことを話していた。

 

この方々は私と同世代か同時代に試合を通して空手道を歩んできた人たちだ。

 

この手の話をすると現場で選手育成をしている方面から批判的及び感情的な反応がある。

 

批判よりは批評、感情よりは意見として返して頂きたい。

 

現在の選手は攻撃の手数も増え、フットワークも使い、スピードもある。

 

だが数試合見ていると私は眠たくなる。

 

個性的な組手をする者がいないからだと思う。

 

個性とは何だろう。

 

規格、統一的な稽古を踏まえ(実はここが肝要)、一人ひとりが自分の体格や特性を生かした組手を作ることだろう。

 

昔いた上段系の華麗な蹴り技を出す選手、パワーと体格を利した下段蹴りに勝機を求めた選手、小柄であることを逆手に取り低く構え動くことにより相手に的をしぼらせなかった選手など、今でもはっきりと特徴を思い描くことができる。

 

極真空手道の本質は何か考えてみる。

 

目に見える事象であれば総本部で行われた道場稽古、人物であれば大山総裁だ。

 

何千回、何万回と繰り返される基本、移動、型、そして組手。

 

反復の中から突き、蹴り、受けの極意を自分で掴め。

 

大山総裁はそう仰っていた記憶がある。

 

そう、日常的に行われていた道場稽古で本物の技を会得してあとは各々が自由に組手を編み出す。

 

この流れが川の本流なのだ。

 

大山総裁亡き後、この流れは消滅した。

 

私自身がそうであったのだが、花である大会に目が向き、選手育成が全てである気がした。

 

幹や根っこである道場稽古をおろそかにした。

 

いや形はなぞっていたのだが、反復の中に極意をつかむという気概に欠けていた。

 

今や雨後の筍のように乱立する空手道場。

 

効率を狙ってであろう型クラス、基本クラス、選手クラスなどに分けて運営しているようだ。

 

分けること特化することは本流である道場稽古を分断することになり、偏った空手家を育てることになる。

 

道場稽古の一本の突き、蹴りに命をかける、あとは個人で工夫する。

 

これが個性的で物事を深く考える選手を育てるのだ。

 

2017年三和道場は道場稽古に命を懸けます。

 

 

工夫と冒険

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秋も深まった頃、夜自転車で走っているとハンバーグ屋の前で中年男性とすれ違った。

 

両手に荷物をぶら下げている。

 

何だろうと思ってみると体重計が二、三個ずつ。

 

男性は少しにやけた風できょろきょろ周りを見回していた。

 

その大きな鼻とほくろに見覚えがある。

 

どこかで…あ、箱根駅伝の監督だ。

 

スポーツニュースや、先日は歴史ドキュメンタリーのコメンテーターとして出演していた。

 

都内のどちらかというと軟派なイメージの私大を冬の箱根で二年連続優勝させている。

 

と、ここまで頭の中で彼の情報と記憶がよみがえった時ある光景が重なった。

 

早朝、歩行稽古で公園までの道を歩いていると胸に私大のロゴのあるTシャツで走っている青年と時々すれ違う。

 

かなりのスピードで無表情だが集中した顔つきで駆け抜けていく男子学生。

 

もしやと思い調べてみると私の住む町に私大の陸上部の寮があった。

 

へー身近なところで毎日努力しているんだ。

 

それにしてもあのにやけた風に見える監督、少し二重人格的な性格のような気がする。

 

テレビカメラから外れた時、自分の姿勢を保てず前に突っ伏した姿を見て感じてしまった。

 

しかしきっと柔らかく気取らないアプローチが今時の若者に受け入れられるのだろう。

 

どんな世界であれ、一人の人間をその気にさせるためには相当な情熱とエネルギーが必要となる。

 

ロケットを打ち上げる時、大気圏を突破するまでに一番燃料を使うのと同じだ。

 

ひとりやる気になればライバル意識を持った二人目が現れる。

 

そうすればしめたものでやる気はまん延する。

 

結局強いチームには必ずトップになるという強い意志を持った最初のひとりがいる。

 

あの監督、醸し出す柔らかい雰囲気とは裏腹に強固な意志を持っているのだろう。

 

そして学生たちをさらに良く、強くするために新しいものを取り入れようと様々なアンテナをはっているはずだ。

 

彼の毎日は挑戦心とやる気で新鮮なものになっていよう。

 

外部から見ると同じルーティンワークも当の本人には深く新たな発見に満ちた内容で、その質はまったく違う。

 

試行錯誤の日々の連続は頂点という素晴らしい結果につながる。

 

工夫と冒険に満ちあふれた積み重ねは伝統となり、やがて歴史となるのだ。

 

正月、箱根での彼らの活躍に刮目したい。

 

 

ドラマ

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いよいよ最終回を次週に迎える大河ドラマ。

 

ストーリー展開のテンポの良さや軽妙な人との会話と時々見られるコミカルな間。

 

脚本家と演出家の工夫が感じられて飽きることなく観られた。

 

それにしても大坂の陣、真田幸村と徳川家康、戦略家同士の心理戦、裏の取り合いは興味深い。

 

何故有利に進められるはずの和睦交渉で城の堀を埋めてしまったのか。

 

徳川の狡猾さよりは豊臣の愚かさを露呈した致命的な決定であった。

 

きっと自分たちにとって都合よく相手の要求をのんでしまったのだろう。

 

敵の本当の目的を忘れてしまったのだ。

 

相手の目的は豊臣家の滅亡である。

 

豊臣が取った愚策により二百六十年あまりの徳川政権が確定することになる。

 

この史実から学ぶべきはトップが愚鈍であれば国や組織は滅びるということである。

 

歴史的な大失策などと笑ってはいられない。

 

島二つ返してあげてもいいよなどという甘い言葉にふらふらついていくと経済的に援助してよ、お金ちょうだいなんて言われて足元をみられる。

 

相手の真意は何なのか?

 

ここ七十年の大国がとった国策しての動向。

 

わずか二、三年前隣国へ侵攻、無理やり属国として編入させた事実。

 

一筋縄でいかないどころかあやまれば国としての主権も失いかねない事態に。

 

まずは平和条約を締結し、未来に向けて信頼関係を築くべく一歩一歩を積み重ねてゆくべきだろう。

 

 

希望

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直心大会が終わり三日、そろそろ冷静にどんな大会であったか、出場した生徒がどんな影響を受けたのか観察できる頃だ。

 

少年たちの反応は面白い。

 

痛かった、くやしかった、頭が真っ白で覚えていない、うれしかった等々さまざまだが皆目を輝かせて言葉を探している、その表情がよい。

 

たぶん大人も含めて出場しなければよかったとか、二度と出たくないという者は皆無だろう。

 

これだけでもまた来年も開催しようという想いにかられる。

 

出場者数とレベルの高さを競い合うだけの大会は私自身興味がない。

 

開催する側に目指す理念が感じられ、出場する側も同じところを見ている。

 

そんな空気が感じられる大会にしたい。

 

少なくとも直心はそれでゆく。

 

一般部の決勝戦、若い力のぶつかり合いは見ていて気持ちがいい。

 

両者最後まで諦めず、戦う姿に会場から自然発生的に拍手が起きた。

 

どこかのやらせスタンディングオベーションなどではなく、それは温かい拍手であった。

 

会場に居合わせた関係者の方々から勇気や感動という目に見えない何かを感じられたと耳にした。

 

多くを望むつもりは全くない。

 

町田の地、いや三和道場一つひとつから直心を発信できればよいのだ。

 

また来年の直心をより良いものにという気持ちで稽古してゆきます。

 

 

大切なこと

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秋田での強化合宿を敢行した。

 

現地での滞在時間が30時間。

 

前後に車での移動行き帰り8時間を挟んでの実施。

 

敢行と呼ぶにふさわしい弾丸ツアーだった。

 

来る10月2日直心の大会に向けての選手合宿は登山というクロストレーニング(恐ろしく過酷)を含めて三本立ての内容の濃いもの。

 

稽古後の夕食は山海珍味のはっきり言って酒池肉林。

 

おまけに食後は日本一の花火大会の観賞。

 

参加者の体と心に残る一泊二日であったろう。

 

道場生の奥方のご実家というご家族ではあっても見方からすれば私たちは赤の他人である。

 

厚い歓待にはただただ恐縮と感謝しかない。

 

効率だけを考えれば合宿にかける時間、労力、経費はかなり無駄である。

 

では何故やるかというと選手の根っこを深く広げるためだ。

 

若人が大勢の人と関わっていることを知り、何のために強くなろうとするか学ぶためだ。

 

自分の大昔の経験、そして弟子とともに歩んだこの三十年の経験から一つのことに没頭する若者に周囲の大人は応援する。

 

それが正しいこと善いことと感じているからである。

 

私が若い時、なぜこの方々はこんなに応援してくれるのだろうと思った先輩達。

 

その人達の立場に今自分が立ち、同じ心境にいられることを幸せに思う。

 

一番大切なことを受け継いだと感じるからである。

 

人はパンのみで生きるわけではない。

 

肉体だけ強靭にするのであればタンパク源である肉食だけでいいのかもしれない。

 

しかし人の真心を養ってゆくのが武道である。

 

 

真の具現化

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ファイナリスト(決勝進出者)がいる訳ではなく、9秒台で走る者も一人もいない。

 

にもかかわらず米国を抑えて堂々の銀メダルに輝いた。

 

四百メートルリレー男子での日本チームの雄姿である。

 

総合力、チームワークの勝利、具体的に言えばバトンを繋ぐ技術の錬度の高さ。

 

そこには確かに手渡そう丁寧に受け取ろうという心が存在する。

 

体格で外国に及ばすとも技と心で凌駕する。

 

ここに世界における日本の立場、存在性をみるのである。

 

資源は無くとも人が心から喜ぶ技術、製品を提供する。

 

海外の紛争に軍事力、首を突っ込むことが世界平和に貢献するということではあるまい。

 

各国のメダル獲得数が米中日の順だそうで、これってGDP順なのが面白い。

 

やはりメダルにはお金がかかるということだろう。

 

さらに言えば経済的に豊かで食べることに事欠かない日々の中に余裕が生まれ五輪のメダルへ夢が持てるのである。

 

衣食足りて礼節を知るという。

 

戦場や貧困、飢餓の状態ではメダルどころではない。

 

リオ五輪は終盤から佳境を迎えている。

 

女子レスリングでのラスト五、六秒での大逆転劇続出。

 

女子バドミントンタブルスの連続5ポイントしての逆転勝利。

 

奇跡と思えるが恐るべき冷静さと集中力の結晶だと感じた。

 

土台には血の滲むような練習を来る日も来る日も続けてきた5年、10年という月日がある。

 

弱い己に負けない日々を送ることはそれだけで真の具現化である。東京五輪までの四年間、日本全国各地で真が見られることになる。

 

 

表情

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個人的に知っているわけではない。


四年に一度テレビで拝見するだけの女性である。


123年前、彼女が女子高生の時から知っているがもう三十歳と聞いて人が成長する速さを実感している。


ついでに言えば別段私の好みのタイプでもない。


それなのに彼女が体重の倍以上もあるバーベルを頭上に上げている姿を見ると涙が出るのを禁じ得ない。


107キロのバーベルをフロントスクワット状態にして立ち上がり、プレートの反動とバーのしなりを利用し頭上に掲げて静止三秒間。


脚を前後にした瞬間、腰椎にはいったい何トンの負荷がかかっているのか。


顔面を紅潮させ三白眼で重さに耐えた表情が口元から笑みに変わってゆく。


苦しみから解き放たれ歓喜に変化する、その三秒間は彼女が競技選手として十六年間流した汗と涙が凝縮されたものだったに違いない。


滅多にみられる人の表情ではなかった。


小柄であること、長年のトレーニングにより体中の関節を痛めていること、痛み止めを打って強行出場したこと。


私自身、共感することが多々ある。


彼女の父上や伯父上が東京、メキシコ五輪で活躍する姿を私は少年時代に見ている。


影響を受けているのかもしれない。


小さなことをコツコツと積み重ねてゆくと凡人が超人になるのだ。


今後の彼女の競技者、指導者としての生き方にエールを贈るものである。


リオ五輪、オリンピックはすばらしい。