前々回の連合の世界大会以来なので私にとって八年ぶりの訪沖であった。

 

自分の道場生が出場しているわけでもなく、偉そうに来賓などという立場で試合を観戦した。

 

決勝日、試合途中、選手の粗暴な行為により大会進行がストップした。

 

大山総裁がいたら即選手は失格、破門になっていたと思う。

 

だが試合は再開、問題の選手が勝ち進んだ。

 

国内外の試合中にみられる低俗なブーイングまたはヤジ、選手の粗暴な行動。

 

これらはすべて総裁亡き後に出てきた現象。

 

私たち空手関係者の責任である。

 

大会を選手を人を育成する武道としてではなく、宣伝のための道具、もしくは他派閥への示威行為程度に扱ってきたことへのいわば天罰だ。

 

極真空手関係者は過去自分がしてきたことから反逆されている。

 

上記のようなことも大会を面白くなくしている一要因になっている。

 

試合をみて感じたことがあった。

 

選手たちの攻撃は速く、それなりの威力をともなっていたが効いていないのだ。

 

まともに脚を蹴られているのに平気で動き続けている。

 

こと、下段蹴りに関して言わせてもらえば当たる角度がよくない。

 

スネや足の甲の硬さももう一つな感がある。

 

選手の体格は大型化しているが皆、尻が小さい。

 

大臀筋の発達こそが下段蹴りの威力へ直結する。

 

選手が高重量でのウエイトレーニングとスネ、甲など部位の強化をしていないのではと思える。

 

三回同じ箇所を蹴られたら、一瞬動きが止まり、審判の判断材料になり、そこから勝負の流れが決まる。

 

スネ受けしない選手は三回戦で倒される。

 

これが極真の試合だと考える。

 

今の選手の手数主体の組手は少年部での試合(防具着用)の影響もあるだろう。

 

だが真剣のように磨かれた下段蹴り、これがあれば無駄ダマは必要なくなり、日本刀のような技のやり取りはみている側にも緊張感と迫力を感じさせ、眠くなどならない。

 

選手のすべての能力を限界まで引っ張る。

 

指導者は己を磨き、まっとうな人物に育てるべく、選手を戒めるべきである。

 

沖縄の師範による演武があった。

 

十年以上ぶりで拝見した。

 

年季の入った味のある型と迫力ある氷柱割りはすばらしかった。

 

だが彼の筋骨隆々ではつらつとして輝いていた姿を知る者として時の流れを私自身の姿としてそこにみていたと思う。

 

他人の型をみて涙が出たのは初めてのことだった。

 

極真空手の真の繁栄を祈るものである。