日本で最初に「乳児死亡率」をゼロにした

 

岩手の沢内村(合併して現在は西和賀町)を

 

以前に紹介しました赤ちゃん

 

同村は、最新設備のある大病院を

 

誘致したわけではありません病院

 

長く医師すらおらず、「死亡率ゼロ」達成の数年前まで、

 

10人に1人近くの乳児が、

 

1歳に満たずに亡くなっていましたうえ~ん

 

1年の半分近くを雪に閉ざされ、

 

「雪・病・貧の三重苦」の村といわれていたのです家

 

 

1957年、深沢晟雄氏が村長になって行った試みが、

 

成果をもたらしましたup

 

保健師の採用です看護師

 

後に村にできた病院で副院長、院長を務めた増田進医師は

 

「保健師活動の始まりとともに、死亡率が急激に下がった」

 

と証言しています医者

 

 

保健師が何を行なったか考える

 

それは、徹底した家庭訪問でしたおはよう

 

一人一人の健康だけでなく、

 

生活、家族の人間関係も詳細に把握元気

 

だから、信用もあり、現場に即した発想も出たのです考える

 

「住民と対話している強みです。

 

医師は技術者として保健師さんの意見に従い、

 

いい結果が出た」と増田医師しゃべる

 

「死亡率ゼロ」は、保健師採用の

 

わずか5年後のことでした0

 

 

誠実、丁寧な日々の励ましが、

 

人にどれほどの安心をもたらすことかほっ

 

地域の未来を開くアイデアも、

 

そうした膝詰めの語らいから、

 

生まれるに違いありません!!!!!

 

 

 

 

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