ナイチンゲールは看護学校の学生達と約束しました
「私は、自分の生命の最後の時まで
毎日毎日努力して学び続けることでしょう」
「他者を看護しながら学ぶことが不可能になった時には、
看護されながら、つまり(私を)世話してくださる
看護婦さんの看護を見ながら学ぶでしょう」
この言葉通りに彼女は生きました
生き抜きました
看護学校を創立した四十歳の頃、
彼女の体力は限界にきていました
多くの人が、早すぎる死を心配したのです
実際、危ない場面も何度もあったのです
それでも、彼女は立ち止まらなかった
「忙しくて死んでいる暇などありません」
そう言って、病魔を笑い飛ばしたのです
自由に動けなくても、まだ、書くことができる───
彼女のベッドの傍らには、
常に鉛筆やペンがあったそうです
彼女が書いた論文、統計だけでも膨大でした
そのうえ、手紙は一万二千通にも上ったといいます
医者から「書くこと」を止められても、
「だからこそ、私はなおいっそう書き続けるのです」
と一歩も引きませんでした
「私があの報告書を仕上げていなかったら、
私が『守り得た』はずの健康など、
私に何ほどの意味があるでしょう」
これが彼女の変わらぬ信念でした
我が身を赤々と燃やして輝く”戦いの炎”───
それがナイチンゲールだったのです