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4日前の記事で、言いました。

宇宙には、たった一つとして、同じモノは存在しない ①


電子Aも電子Bも、どちらも「電子」と呼ばれているが、

それらは、まったくの別モノ。

だから、+=2ではありません。だっては違うのだから、足せるわけがない。

電子Aと電子bは、似ているかもしれませんが、別モノです。

電子Aも、電子Bも、違う場所にある(現れた)からには(座標を有したからには)、

まったくの別モノ。

だから、「ある(あらわれ)」とは、まったくの別モノである証拠である。

宇宙に、ある(現れた)もの全て、たった一つとして同じモノは無い。




3日前の記事で言いました。

電子Aと、一秒後の電子Aでさえ、まったくの別モノ ②

電子Aと、同じ場所にあり続けた、一秒後の電子Aでさえ、

まったくの別モノである。

物質は、座標という固有の構成要素の他に、時間という固有の構成要素を持つので、

たとえ、同じ場所にあり続けた、同じ電子Aでも、1秒前とは別モノである。

一秒前のソレとは、まったく関係が無い、別モノ。




一昨日の記事で言いました。

脳には、まったく違うモノを、同じモノだと幻視させる機能がある ③

1秒前の電子Aと、1秒後の電子Aは、本当に、全く関係無い別モノ。

でも、僕たちは、1秒前の電子Aと1秒後の電子Aを同じモノだと思い込む。

同じモノが、「時間」を経過して、同じように在り続けたと、思いこむ。

目の前にある電子Aは、1秒前の電子Aと同じモノだと思い込む。

なぜなら、脳には、瞬間瞬間瞬間を「流れ」という一つの幻想に書き変える機能、

まったく別のモノを、同じモノだと誤認することで、一つの「流れ」を作り出す機能があります。


あなたは、走る電車の車内から、通り過ぎる駅の看板名が見えません。

でも、全ての瞬間の積み重ねを、あなたは見ていたはずです。

+0.1秒の瞬間+0.1秒後の瞬間・・・、全ての瞬間を絶対に見ていました。

だから、あなたの目と駅の看板が光で繋がった瞬間が絶対にあるんです。

あなたが、「渋谷駅」という看板名を見た瞬間が絶対にあるということです。

それなのに、走る電車の車内からホームの看板が見えない。

なぜなら脳には、全く別モノの瞬間・瞬間の情報を、

同じモノと誤認し、「流れ」という幻想に書きかえる機能があるから。

だからあなたは、1秒前のあなたと、今のあなたを、同じモノだと誤認識してしまう。




昨日の記事で言いました。

脳には何も無い空間を線で区切って、何かがあると思い込む機能がある ④

勝手に区切る「」ことで、「目」や「鼻」という、単位(パーツ)を切り出して創るし、

区切った「」パーツとパーツを、勝手に関連付ける事で、「顔」という幻想を創る。

しかし、脳の、「勝手に区切る機能(勝手に関連付ける機能)」を停止させると、

目の前の空間から、全ての関連付けや、「」区切りが消えるのだから、

目の前には、瞬間というひとつの大きな場面ひとつの大きなカタマリが出来る。

そこには、「顔」+「フォーク」+「お花」+「虹」が在るのではなく、

「顔+フォーク+お花+虹」という、区切りの無い、一つの大きな「場面」が在るだけ。


もちろん、上の「顔+フォーク+・・・」の中にある、「顔」というのも、区切れないのだから、

「目+鼻+口+細鉄+細鉄+・・・・」となり、さらに「目」も区切れないのだから、

どんどん分解(区切りを撤廃)されて、

目の前には、「    」という一つの大きな場面があるだけです。

脳の幻視機能である、勝手に区切り、勝手に関連付けるを停止させると

あるがままの、一つの大きな瞬間という場面「    」が、

目の前に展開しているだけです。

瞬間という一つの大きな繋がりが目の前に存在している ⑤




さぁ、①~⑤が出そろいました。

この5日間で、いったい、何が言いたかったのでしょうか?

あまりにも長くなりすぎて、いったい何が言いたかったのか、

作者も分からなくなってますが、

5日前の作者と、今日の作者は、まったくの別モノなので、気にせず進めましょう。



①宇宙には、ただの一つとして、同じモノは無い

②あなたと、1秒後のあなたも、全く関係無い、別モノ

③でも、脳には、全くの別モノを、同じモノだと幻視させる機能がある

④さらに、脳にはただ一つの瞬間を、自分勝手に区切るクセがある

⑤脳が無ければ、本当は、「 瞬間という一つの大きな繋がり 」が目の前に存在している





まず⑤の、目の前には、たった一つの大きな繋がりという「瞬間」が存在している。

(目の前にはと言いましたが、「見る者あなた」と「目の前の全ての繋がり」という区切りもありませんが、そこは割愛)

「瞬間」、又は、「トキメキ」とでも言いましょうか、今、たった一つの繋がりが存在しています。

その大きな一つのつながりに、本来、「」区切りはありません。全てが繋がっている。

繋がっている=何も無い

一つなるモノが、トキメキとして、永遠として存在しています。


その一つなるモノから、まず初めに、「あなた」が切り出されます。

「観測者」として、たった一つの大きな繋がりキラメキ、から、あなた」が切り出されました。

すると、「あなた」という区切りと、「あなた以外の全て」に分かれます。

見る者」と「見られるモノ」に分割されたわけです。

観測が始まります。

「わたし」が全ての始まりです。)



それでもまだ、「みられるモノ(目の前の風景)」は、

「たった一つの(あなた以外の)モノ」として繋がっています。


そのたった一つの風景から、「目」を切り出す必要も、「鼻」を切り出す必要も、

「目」と「鼻」を勝手に関連付けて、「顔」と呼ぶ必要も無いので、

ソレに、区切り「」を入れる必要はありませんが、

せっかく、観測を始めた僕たちは、

目の前のその、今という「トキメキ」を、脳の思い込みでもって、

好き勝手に、「」分割して行きます。

この作業は、一瞬で行われます。



「」ここと、「」ここを区切って、

「」それと、「」これを関連付けて、「花」と呼ぼう。


すると、目の前に、なにか、「物質」が出来あがるわけです。

(「わたし」は全ての始まりで、名付けは全ての母です。)


本来、脳が勝手に「」切り出さない限り、全てが繋がっているので

それはすなわち、

何も無いと言うことになりますが、

そこから、自分勝手に「」切り出す事で、「花」が出来ました。

花があると思い込み、「花」を物質化させたんです。



こうしてあなたは、

たった一つの目の前の「瞬間」を、脳の誤機能でもって、無数に分割し、

思考を様々に物質化させましたが、

でもそれは、目の前の、

一つの瞬間、「          」に、

思い込み(区切り)「」を入れて、

 「」 「」 「」  「」 「」 

としただけであって、

それでもまだ、無数に分割された一つの瞬間「 」があるだけです。



さぁ、ここで、脳の第2の低機能の出番です。

「連続性」を生み出すのが、脳のもうひとつの低機能。



目の前にある、無数に分割された一つの瞬間ヒントにして、

次なる思い込み「」でもって、

目の前の 「」 「」 「」  を組み替えて、

一つの瞬間を創り上げます。

 「」  「」 

区切る位置を、微妙にずらしたりしたわけです。



こうして、

無数に分割された一つの瞬間
 「」 「」 「」  

をヒントに、

無数に分割された一つの瞬間
 「」  「」 

が出来あがりました。



出来あがりましたと言うよりも、

一つの瞬間「   」内部で、模様替えや配置換えがあっただけであり、

例えるなら、

目の前のホワイトボード上に、「張り付いた磁石」の位置を変えただけです。

ホワイトボードは、ずーっと変わらず、在り続けた。



ホワイトボードは在る。

それを、Aという瞬間と呼んで、あなたが(勝手に)創り上げました。

ホワイトボードは在る。

それを、Bという瞬間と呼んで、あなたが(勝手に)創り上げました。

ホワイトボードは在る。



ホワイトボードは、ずーっと変わらずに、在り続けた。

あなたが、変わり続けたんです。

あなたの、思い込みが、変わり続けたんです。


たった一つのモノ(ホワイトボード)は、全く変化しない。

でも、観測者の観測方法(思い込み)が変わり続けた。


だから、

Aという瞬間と、Bという瞬間は、まったく関係ありません。

だって、あんたが勝手に、コロコロ変わっただけだから。

「こう見たい」、「ああ見たい」とコロコロ変わり、

好き勝手に、ホワイトボードを見続けた。

目の前には、ずーっと同じホワイトボードがあり、

それを、どう区切るかだけを(思い込みだけを)変えたのだから。


思い込み(区切る位置)を変える事で、
連続性という幻を創りあげ、
時間という「流れ」の幻想を、
創りあげたのです。



要するに、本来、脳の思い込み(低機能1&2)が無ければ、

目の前には、時間も無いし、物質も無いことになります。


時間はウソです。

物質はウソです。

それを感じた、あなたすら、ウソです。


脳の低機能「区切り」を解除して、

脳の低機能「連続性」を解除すれば、

目の前の現実の全ては、夢マボロシだったことになります。



「物質」を創り上げているのは、あなたなんです。

「時間」を起こしているのは、あなたなんです。





連続性を創り上げる脳の機能が停止した患者さんは、

コーヒーをティーカップに注ぐことが出来ませんでした。


なぜなら、液体が、「流れる」という幻想を、見ていないのだから。

Aという瞬間(思い込み)と、

Bという瞬間(思い込み)は、まったく関係無い


「ポットからコーヒーが垂れ始めた瞬間」と、

「コーヒーの水滴が空中に浮いている瞬間」と、

「その水滴が1cm下に下がった瞬間」

まったく関係無いのに、

なぜか、の瞬間を結んで、

一つの流れという幻想を創り上げる。


も、全く関係無いバラバラ別々の瞬間なのに、

脳がソレを勝手に結んで、

「コーヒーを注ぐ」というストーリーを創っちゃう!



脳腫瘍で連続性という幻視を見ない人は、

バラバラの瞬間が、バラバラに存在しています。

静止画が、バラバラに存在している。

A「 「」 「」 
C「  「」   
B「 「」「」  


脳腫瘍患者よりも病気な僕たちは、

そのバラバラの静止画を、

勝手に、A⇒B⇒Cと組み立てる事で、

時間という流れの幻想を見ます。

ストーリーを得ます。


次に、その患者さんに、もう一つ脳腫瘍が出来ちゃって、

勝手に関連付け(区切り)する機能も停止したらどうなるか。


A「     
C「     
B「     


目の前に、白紙が、数枚、バラバラにあるだけ。

おっと、AとCとBの連続性という幻視も見て無いのだから、

Aという瞬間も、Bという瞬間も、Cという瞬間にも区切りは無い

「      」

物質が消え、時間が消え、「   」ホワイトボードが残ります。


「ホワイトボード」と「わたし」になった瞬間、

わざわざ、何の変化も無いホワイトボードを、

「観測するわたし」なんて要らないのだから、

「ホワイトボード」と「わたし」の区切りも消え、

「           

になります。わざと、うすーい色で「」を書きましたが、

「       」

コレ↑が真実です。


ブログの文字数制限を超えちゃったので、

伝えたい事がもっとありましたが、さようなら。



↓「あなた」は、無の気まぐれで生まれました。

「あなた」が生まれ、観測が始まったものの、

「あなた」と「ホワイトボード」だけが用意されて、

アホか!とブチ切れたあなたは、

「ホワイトボード」を、自由気ままに、区切ったり、

区切ったものどうしを関連付けたりして、

物質を創り上げました。

一つの、瞬間という絵画が出来あがったのです。

さらに、別の「瞬間」という絵画を創り上げました。

瞬間という絵画を無数に創りまくっても、

全く楽しくなかったあなたは、

絵画と、絵画を、パラパラ漫画のように繋げて、

「連続性」という幻想を楽しむ事にしました。

こうして、鉄拳の作品として僕たちは生きていますが、

パラパラ漫画が、楽しくなくなったら、どうしましょう?

パラパラ漫画に、逆に脅されるようになったら、どうしましょう?

まずは、パラパラを、瞬間・瞬間に戻すことです。

今と、次の瞬間は、まったく関係無い。

関係あると思い込んでいるのは、脳の幻想。

次に、瞬間の中を勝手に区切って絵画にしないことです。

ホワイトボードが、目の前に、変わらずに在り続けます。

こうして、ホワイトボードを、勝手に区切っていたのは、

私だったことを思い出し、

もう一度、パラパラ漫画に興じるも良し、

ゆらぎを利用して、無に戻るも良し。

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