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いま、目の前に何もない空間をイメージします。
その空間に、無数のガチャポンが浮かんでいるイメージをしてみてください。
一つのガチャポンには、一つの宇宙が入っています。
その宇宙には、過去から、未来まで全てが決定された状態で入っています。
その宇宙では、過去に何が起こったか、いま、何が起きているか、
未来に何が起こるかまで、全てが決定された状態で、封入されています。
一つのガチャポンを手にとって開けてみましょう。
カポッ。
すると、そのガチャポンの宇宙の「イマ」が体験できます。
そのガチャポンの「イマ」に浸っている間は、
そのガチャポンの宇宙を体験していますので、
そのガチャポンの過去を経験済みのような雰囲気になります。
でも、実際は、そのガチャポンの、「イマ」の脚本を、
それらしく体験するためだけに、
あたかも、その過去があったように感じるだけです。
昨日話した通り、「イマ」を起点に脚本を書きますので、
そのガチャポンの「イマ」をそれっぽく見せるためだけの演出として、
過去を思い出せます。
次に、別のガチャポンを手にとって、開けてみましょう。
ポキョッ。
すると、その、別のガチャポンの「イマ」が経験できます。
もちろんそのガチャポンにも、決定された過去や未来が入ってますが、
あなたは、そのガチャポンの、「イマ」だけが体験できます。
そのガチャポンの「イマ」をそれっぽく経験するための演出として、
そのガチャポンの過去を経験してきたかのような記憶っぽいモノも、
オプションとして思いだせます。
でも、あなたは、実体験としてのそのガチャポンの「過去」を通っていません。
「イマ」を補色するための、「過去」があるだけです。
さて、一つのガチャポンを開けて、
そのガチャポンの「イマ」を経験しているトキ、
あなたは、さっきのガチャポンの存在なんて思い出せません。
だって、いま、その手に取っている、
過去から未来まで全てが決定されたガチャポンの、「イマ」を体験してるんだから、
そのガチャポンの世界の、脚本(過去)しか知り得ません。
さぁ、目を開けて(あれ?いつ、目をつむれと言った?)
周囲の風景を見てみましょう。
目の前にパソコンがある、又は、何かが体験できているということは、
あなたはいま、どれか一つのガチャポンを開いているということです。
ひょっとすると、イマ、「なんか筋肉痛だな~」と思っているかもしれません。
先ほど言いました通り、あなたは、いま開いているガチャポンの、
「イマ」しか経験できませんので、
あなたは、『筋肉痛なガチャポン』を体験したくて、選択しただけです。
もちろん、「イマ」記憶をたどれば、
「昨日、腕立て伏せしたな~」とか、
「一か月前に、恋人に、デブって言われたな~」とか、
「イマ」体験している、筋肉痛を、それっぽく見せるための過去を、
思い出せるはずです。
でも、実際あなたは、「イマ」しか体験していないので、
「一か月前に、恋人に、デブってい言われた」は体験した道ではありません。
もちろん、揺るがない確たるものとして、その記憶はあるでしょう。
「絶対に、デブって言われたはずだ。そこにわたしはいた。
ホラ、その証拠に、フラレタ次の日、友人とやけ酒を飲んだ記憶もある。」
あなたは、「イマ」の筋肉痛を体験するがためだけに、
また新たな過去の記憶を脚色しました。
「だから、違うんだってば!!
キャクショクとかじゃなくて、居たの!その過去に居たの!
ホラ、その証拠に、やけ酒を飲んだ次の日に、胃カメラ飲んだんだから!
ホラ、ここに医療診断書がある!!
『お酒の飲みすきによる胃痛』って!!」
あなたは、筋肉痛という「イマ」を経験するために、
診断書を脚色しました。
こうして、「イマ」という体験のリアリティを上げるため、
どんどん、過去を創り上げていきます。「イマ」を起点として。
「よっしゃ分かった!
「イマ」しかないんだな?ガチャポンを変えれば、記憶も変わるんだな?
よし、じゃあ、筋肉痛じゃないガチャポンを、選択しよう。
そうすれば、過去の記憶が全部変わるって言ってるんだよな、てめぇ?
ガピョッ。
わたしは、ガチャポンを変えたぞ?
記憶、記憶…。
はっ!!!
記憶が、ぜんっぜん、ある!!!
胃カメラとやけ酒を、のんだ記憶が!!!
うそつきめ!」
ガチャポンごと変わるので、
さっきまでのガチャポンの記憶が、新しいガチャポンにあるわけがありません。
それはもう、違う宇宙(ストーリー)だから。
あなたが、イマ、ガチャポンを変えて、(実際に変えましたよ)
過去を思い出してみて、
「ホラ!さっきまでと同じ記憶!!」
って叫んでみても、
もう、イマ、まったく新しいガチャポンにいるので、
そのガチャポンの「イマ」を脚色する過去が味わえるでしょう。
いま選択したガチャポンで体験したい「イマ」は、
「アイツ(みつろう)の理論は間違っている」なんだから、
その体験したい「イマ」をそれっぽく脚色するために、
あたかも、さっきまで、ブログを読みながら、
筋肉痛とか胃カメラの話しをした記憶や、
そのブログを書いてる人に文句を言っていた記憶なんかを、
「イマ」創り上げたのでしょう。
でも、さっきとは、全く別のガチャポンにいます。
これを、我々は、毎瞬、毎瞬、ガチャポンをチェンジしながら、
新しいガチャポンを開けては、その「過去」があったような雰囲気に浸り、
また新しいガチャポンを開けては、その「過去」があったような気になれます。
でも、いま選択しているガチャポンと、さっきまで選択していたガチャポンでは、
全く、過去も未来も現在も異なっています。
新しいガチャポンには、
そのガチャポンならではの、過去から未来までの全てが用意されているので、
「記憶が変わった」なんて思うことは出来ないわけです。
でも、実際は、毎瞬、「過去」も「イマ」も「未来」も変わっている。
観測できない世界への信頼を増していくとが、
あなたの魂の成長の余白を拡げて行く行為です。
どれだけ頑張ってみても、
あなたはさっきのガチャポンの記憶を思い出せないでしょう。
いま選択しているガチャポンの世界に居るんだから。
「イマ」すべての過去まで創り変え続けてるんだから。
今日は、メソッドを紹介するとか言っておきながら、
なんだか話しが長くなってきて疲れてきたので、
昨日の記憶を忘れたいみつろうは、もうペンを置きます。
敬具
↓「過去を変えたい」って思っても無駄だよ。
そのセリフさえも、
そのガチャポンの「イマ」をそれっぽく見せる一つの演出だから。
出来ることは、観測できない世界への信頼を増やしていくことだけです。
観測できないけど、このガチャポン以外のガチャポンがいっぱいあるんだなって。
無数のガチャポンから、このガチャポンを、選んでいる存在が居るんだなって。
その存在(大いなる私)を信頼できるようになってくると、
その存在が無数の中から、わざわざ選んだ、目の前の「イマ」が信頼できます。
ガチャポンの中しか観測できない私たちにできることは、結局それだけです。
「イマ」起こる事を、100%信頼する。
ガチャポンの中しか観測できないから、
「なぜこのガチャポンなんだ、つらいぜ!」と言いたいかもしれないけど、
無数のガチャポンの中からこの「イマ」を選ぶからには、
なんらかの理由があるはずだからと、
目に見えないモノを信じてみる。
目の前の現実がつらく見えてるのは、ガチャポンの「あなた」だけです。
本当のあなたは、何もつらがっていません。
↓今日は下の二つのボタンを押す際、
「私は、目に見えないあなたの選択を信頼します、カポっ!」
って言いながら押してみて。
ちゃんと、カポッも声に出しながら、押してね♪