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昨日、「目の前の事象と感情は関係無いっぽいぞ」って書きました。
涙を流すのと、悲しい事象、
大爆笑と、嬉しい事象、
これらに、明確な関係はないっポイぞって言いました。
すると、どーでしょう。
「泣くなって事なのか?
笑うなってことなのか?
Aが起こったら嬉しいってのは自分が決めたルールだから、
何が起こっても、ずっと冷めてなさいってことなのか?」
っていう反応をされる方もいらっしゃいました。
この世に、ゲームしに来ています。
あんたは、超ゲーマーです。
だから、いろんな設定は必要でしょう。
宝くじがあたる=笑う
恋人に振られる=泣く
上のようなルールは、あなたが、この世のゲームを楽しむために設定しました。
だから、究極を言えば、
確かに、ずっと冷めてる(覚めてる)状態でも良いのかもしれません。
自分が勝手に設定したルールだから、
「わざわざ、そんなルールに一喜一憂している場合ではないわい」って、
冷めてるのも良いのかもしれません。
でも、それって楽しいですか?
恋人に振られたという事象と泣くという感情には関連は無く、
あなたが勝手に決めたルールです。
だからと言って、恋人に振られたトキに、
「いいえ、この世は私が勝手に決めたルールで回ってる。
恋人に振られる=悲しいと設定しないことも可能なのだ。
だから、別に何とも思わないわ」
って言うのも、どうかと思います。
ゲームは、夢中になるから楽しいのです。
推理小説は、犯人がわからないから面白いのです。
Aボタン押したらジャンプするんでしょ?
Bボタン押したらダッシュするんでしょ?
自分で決めたんだもんね。
で、それの何が楽しいの?
っていう人(冷めてる人)より、
Aボタンを実際に押してジャンプして、
Bボタンを実際に押してダッシュして、
やっべー、クッパマジ強えー!
っていう人、
どっちの方が、この世を楽しんでる人に見えますか?
(Aボタン)やべー、お金が無いから明日やばいよ、
(Bボタン)やべー、恋人に振られたから淋しいよ。
普段、そんなゲームをしているだけです。
「お前のブログを読んで、達人になって悟ったら、
この世(ゲーム)に踊らされないようになるから、
結局、冷めちゃうんじゃねーのかよ?」
いいえ、違います。
逆です。
ゲームを、むっちゃ楽しめるようになります。
なぜなら、ゲームを設定してるのは全部自分だと気付けるから、
もう、真の恐怖なんて無くなるからです。
何に恐れる必要もなく、ゲームにのめりこめるようになるのです。
クッパは私が創っているし、
クッパに喰われそうになる体験を楽しんでいる。
(真の世界ではクッパに喰われることなんて絶対に無い)
だから、クッパを楽しもう(泣くという感情を楽しむのもOK)
要するに、絶対的安心感みたいなのが出来るとです。
「それは達した人がそうなるんだべ?
私はどーすりゃいいんだよ、わたしは!!!」
だから、楽しめば良いじゃん。
悟ったトキの結論が、結局、
目の前の悲しみを思いっきり悲しむ(悲しんで楽しむ)なんだから、
悟っとろうが、悟っとるまいが、
目の前の悲しみを、思いっきり悲しめば良いじゃん。
で、目の前に楽しみが来たら、思いっきり笑えば良いじゃん。
ナニカを変えようとせずに、
ただただ、起きてくるもの(ゲーム画面)たちに、
熱中すれば良いじゃん。
だから、結局、あなたは、何もしないで、そのままで良いよ。
悟っとろうが、悟っとるまいが、
目の前の出来事を、思いっきり味わうだけなんだから。
絶対的な安心感を持ったままさ。
↓Bダッシュってシッテル?
ファミコン世代じゃないとわからないのかなー。
ゲームを楽しみに来たんだから、プレイしようよ。
悟った人も、結局プレイし続けるゲームなんだ。
あなたも、熱中してる自分を褒めてもいいと思うよ。
ただ、熱中さえすれば良いんだから。
それが目的なんだからさ。
↓今日は下の2つのボタンを押す際、
「やっべー、クッパマジ強えー!」って楽しみながら言いましょう。効果がUPしますから↓
いつも、二つともボタンを押してくれてありがとう。
あなたに感謝しています。