私は、2007年夏から1年間、弁護士の研修の一環として、アメリカ・サンフランシスコの出版社において、日本のアニメ・マンガをアメリカを含む世界で販売する仕事に従事して参りました。
また、2006年から現在に至るまで、アメリカ・シアトルにおいて行われている日本アニメのイベント(Sakura Con)を、現地の運営スタッフ(ボランティア)の一人として手伝ってきております。

これらの活動の中で、日本発祥のアニメやマンガがいかに海外の方々に人気なコンテンツであるかということは肌身で知って参りました。

アメリカその他の国においては、どうしてもキリスト教等の宗教、その他の文化的な制約(タブー)があるために、どうしても、その表現の幅に具体的な制約があり、また具体的な制約に直面しないまでも、そのタブーを犯すような表現をどうしても避けようとする意識が働いています。

その結果、例えば、どうしても神は善で、悪魔は悪といった二元論に基づくストーリーから離れることはできないなど、アメリカのコミック(Comic)等の限界が生じてきた側面もあるのです。

これに対して、日本のアニメやマンガでは、単純な勧善懲悪というストーリーはほとんど見られません。
神様には悪い側面もあり、悪魔には悪魔なりの正義がある、ということを表現し、それがストーリーの奥深さを生み出しているタイトルも数多く存在します。
つまり、良くも悪くも、世界の中で、表現におけるタブーが少ないということは事実だと思います。

海外の方から見れば、このように、日本のアニメやマンガにおいて、発想が自由であること、そして表現方法が非常に豊かであることがまさに信じられないようで、これらの点が海外において日本のアニメやマンガが非常に高い人気を博している理由の一つだと思われます。

近時、東京都において青少年健全育成条例が改正され、一定の性表現を伴う文書については、児童の目に触れさせないような販売方法を取らなければならないとする制度が導入されました。

もちろん、私自身は、行き過ぎた性表現、行き過ぎた暴力表現等について、無制限で児童の目に届くような事態を歓迎しているわけではありません。その意味で、青少年を保護するための何らかの制度の意義はあるものと考えています。

しかしながら、今回の改正は、規制の対象となる表現が余りに曖昧かつ広範囲であるため、規制の網を逃れるため、従来であれば当然に許されてきた表現方法すら自ら制約してしまう、つまり、自由な発想にもとづいて表現が行われなくなってしまう結果を招来する可能性(これを萎縮効果といいます。)が高いと言わざるを得ません。

そして、もしそうなると、日本のアニメやマンガが世界で人気を博してきた最大の理由の一つ、自由な発想、表現方法の豊かさという点が失われてしまうことになります。
せっかく日本において生まれてきたアニメやマンガの未来を自ら放棄することにもつながるのです。

だからこそ、今回のマンガ規制というものが、今まで世界に通用する日本の文化でもあり、世界における一大産業にまで育ってきたアニメ・マンガに対してどのような影響を与えるのか、そして、どれだけ日本の文化・産業としての将来性を損なうのかということを踏まえて、アニメ・マンガに対する規制が必要なのか、規制をするとしても、どのような規制がふさわしいのかについて、改めて検討をし直すべきだと考えます。