さてさて。
https://ncode.syosetu.com/n7405gx/17/
引き続き解説です!!😄
因みに赤猪岩神社⛩の住所は。
鳥取県西伯郡南部町
と云う事で。西伯郡とは伯耆国の西側、と云う由来だそうです。
出雲の右隣が伯耆。左隣の石見の古代名が前回出てきた御間城。です。
https://ncode.syosetu.com/n7405gx/15/
崇神天皇の和風諡号に付いてる「御間城」が。まさに。この出雲の隣の石見だったのさ。ってのが学説的に立証されますように(祈)
小説で伯耆のルビを「ほうき」とかいたりセリフ部分で「ははき」と書いたりしたのは、鳥取県の伯耆だった所は当時はね。
伯伎・母来(ははき)と言ったんですわ。漢字はもう面倒なんで伯耆で統一させてもろた。(ゴメンねややこくて🥺誤字じゃないお)
んで。隣の出雲(三島)は卑弥呼の時代にはもう既に妣国(ハハクニ)と呼ばれていました。
一体いつからなんでしょうね??🤔
出雲の超古名「三島」は現在カケラも残っていませんwいつからか、三島と名乗れなくなった何かしらの理由があるのかもしれません。
そして霊視の結果では当初、出雲の現存する古名、妣国(ははくに)の由来は伊豆の母国だから、と出ました。
それももしかしたら一つの理由かもしれないけど。
いくつもの理由があってそうなったのか、たった一つの理由なのかは実際のとこは今現在わたしは知らん
(↑しれっとドヤった)
伊都国(イツ国)つまり津国(つのくに)と伊豆はきっと語源は同じハズだと思うけど。魏の使者が直接行けなかった隠された都、伊豆国に果たして伊都国のような外交としての機能は求めていたのか。いないと思う(キッパリ)
外交と流通に関しては結果、大阪じゃなきゃいけないんでしょうね。戦国時代も大阪は商人と流通の中心地ですし。
それは。きっと皆が注目するアノ時代の前あたりに何が起きてたかが分かればきっとわかるはず。だけど物事には順序があるんでねまぁ長い時間旅行。お付き合いくださいな💓
だから本来は出雲と名付けた由来は本来は伊豆母(いずも)だったらしい。。伊豆毛になってるけど。。
これ多分だけど蝦夷(毛人)の毛を当てたやろ。
伯耆の「ははき」の由来は一応伝承では奇稲田姫が八岐大蛇から逃げる時「母来ませ、母来ませ」と言ったから、となってます。
他には伊邪那美命が死んだ時に埋葬した地が出雲と伯耆の国境あたりで「母君」から来てる説もあるとかかんとか。
なんか他にも理由と言うか由来と言うか。あるかもねw
あとは「アラハバキ」から来てる可能性があるって説を唱えてる人もいたかも。
(私の場合、由来はハハキが先だと思う)
あとはハバ、ハハとは蛇を意味する説もあります。
そしてワタクシが出した結果です。隣の伯耆・母来・伯伎(ははき)については。
隣の妣国(出雲)から移住する者も多かったから「母来」となった。と出ました(霊談)
……えーーー🤨……割と単純ね(笑)
そして伯耆はそれ聞いちゃうとベッドタウンですか?千葉とか神奈川とか埼玉みたいなもんなんですか?w
古代人の感覚と現代人の感覚。そう変わらないよねw
てな訳でまとめてみます。
妣国(ハハクニ)•島根県の出雲
全国各地の「三島」の名が付く土地の大本•母国。
「三島」の二つ名で後からできた名称であるがのちに使う人が多くなり逆転。
伊豆の母体。
蛇神信仰のある国。
伯耆(ハハキ)•鳥取県の西南部の場合。
妣国から移住する者が多かった国。
出雲のベッドタウン。
蛇神信仰もある。
うーん🤔なんだか最近日本の地名の由来シリーズみたくなっちゃったわねww