阪神淡路大震災から今日で19年です。
年々報道も少なくなり、神戸を離れている私も先日まで忘れてしまっていました。
19年・・・・長いなー
当時まだ学生だった私は母の手を握りながら裸足で避難所まで走ったのを覚えています。
まず家のドアを開けると星・月ひとつ出ていない薄暗い空ですが西の方がやけに赤かったのが印象的でした。
後で知ったのですが長田区が大火災の為空が赤く見えたようです。
私の家は東灘区なので長田区は快速でも20~30分かかるのですが・・・
そして家を出て行く手には瓦礫やガラス、ところどころに火の手が上がって、ガスの臭いが充満していました。
あちこちに倒壊した建物の傍で泣き崩れている人、家族が下敷きだと叫んでる人、人工呼吸・心臓マッサージをしている人・・・
日常からは想像を絶する光景にまだ地震が大好きな神戸の街を襲ったことを信じられず
ただただ母の手を強く握りしめたのを覚えています。
そして避難場所の小学校の運動場に着き、じっと余震に耐えていました。
前日から39度の熱が出ていたのですがそれを忘れてしまうほどの恐怖だったんだと思います。
その後の詳しい振り返りは毎年書いているので・・・・・割愛します。
いやーあの日ほど平凡な日常のありがたみを感じた事はありませんでした。
残念なことに日が経つと風化して忘れがちなんですけどね・・・・
だから毎年この日1/17は
犠牲者の冥福の祈り
そして平凡な日常への感謝をし
そして自分たちには大地震を知らない世代へ、地震の恐ろしさと
日々の感謝を教えていかなければいけない立場なんだと切に感じます。
平和・安全な日本に感謝を込めて・・・・
2014.1.17 一ノ瀬美咲