三國屋物語 第23話
「おぬしは」
男が問いかける。篠塚が音もなく庭に飛びおりてきた。左手に刀を下げている。おだやかな表情からは読み取ることができないが、いくぶん腰をさげ歩幅もせまい。やはり警戒しているようだ。
「それは、こっちの科白(せりふ)だろう」
篠塚の言葉に男はもっともだと思ったのだろう。襟(えり)の乱れをなおし背筋をのばした。
「藤木長春(ふじき ながはる)。薩摩郷士だ」
「俺は、篠塚雅人(しのずか まさと)。ここの用心棒をしている」
「用心棒?」
「薩摩の人間がこんな夜中、しかも呉服問屋の庭先になんの用だ」
藤木が戸惑ったように瞬をみてきた。
どうやら三國屋と知らずに入ってきたらしい。やはり物盗(ものとり)の類ではない。それにしても、どうして新選組に追われているのだろう。どうみても、この藤木という男、悪人には見えない。
「藤木さま……」
消え入りそうな声で呼びかける。まだ、先刻の衝撃(しょうげき)から立ち直れていなかった。
「人違いでございます」
「そんなはずはない。顔も声も物腰も……」
「いいえ。わたくしは三國屋のせがれで瞬と申します」
藤木は見るも気の毒なほどうろたえ「さようか」とだけいった。篠塚が瞬をかばうようにして藤木の前に立った。
「用事がないのなら、とっとと消えろ。血のにおいが鼻につく」
「なぜ、そうなる」
篠塚が憮然(ぶぜん)としてぼやいた。
瞬は藤木の腕に布を巻きながら、
「このままにしておいたら傷が化膿(かのう)してしまいます」
と、早口に答えた。
「それぐらいでは死なんぞ」
「これもなにかの縁でございますから」
篠塚が馬鹿馬鹿しいといった面持ちでかぶりをふった。
あれから瞬は藤木を自分の部屋につれてもどり傷の手当てをしていた。
藤木は無言で篠塚と瞬の会話にききいっている。
妙な雰囲気だった。瞬も篠塚も藤木と名乗ったこの男が薩摩の郷士だということしか知らない。得体の知れない男が屋敷にいる。それだけで用心棒としては厄介事以外の何ものでもないのだろう。だからといって怪我をしていると知りながら手当てもせずに帰すなど瞬にはできない。それに、新選組に追われることになった経緯(いきさつ)も大いに気になる。
京の商家であれば新選組と事をかまえるなど是が非でも避けたいところだろう。
それでも知りたい……。
篠塚という用心棒を得たことが瞬を大胆にしていた。好奇心のほうが勝ってしまったのだ。危機感のない愚かな行動である事は百も承知している。だが、若い瞬は平穏な日常に飽きていた。それはまた、土方や沖田という時代の熱を帯びた男たちと身近に接しているうち、ふつふつと沸きおこってきた若い血気(けっき) だともいえるだろう。
瞬は彼らに、いくばくかの畏怖(いふ)と、それをはるかにしのぐ憧れを抱いていた。店のなかで華美な反物(たんもの)と向きあうだけの日々。そんな瞬にとって、己が夏の盛りをがむしゃらに駆け抜ける土方や沖田のような存在が、どれほど眩しくみえることか。彼らのように命のやりとりをしたいわけではない。ただ、己を衝(つ)き動かす何かを、瞬は欲していた。
手当てが終わると、藤木は膝をそろえ深々と頭をさげた。
「かたじけない」
「もう遅うございますから、今夜は、篠塚さんの部屋に……」
いい終わるまえに、篠塚が血相をかえ身をのりだした。
「ちょっと待て」
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