second scene6
「なんだか、嫌な感じなの」
「ちゃんと説明してくれなきゃわからないよ」
「いま、専務とホテルの部屋にいるの」
「ホテル?」
篠塚がちらと肩越しにふりかえってくる。だが躊躇している状況ではなさそうだ。瞬は「それで」と、先をうながした。
「仕事があるっていうから来たんだけど、なんだか妙な雰囲気なの。肩とか髪にベタベタ触ってくるし」
「でも……それじゃ、帰ったらいいんじゃないかな。もうこんな時間だし」
「仕事があるっていうんだもの。わたし秘書だし」
「二人きりなの?」
「うん」
「いまは」
「部屋をでてかけているの。以前、社長秘書のときのお得意さんだって嘘いって」
「そのまま帰っちゃえば」
「バッグ、置きっぱなしだし。言ったでしょう? わたし秘書なのよ。瞬だって篠塚さんの秘書やってたらわかるでしょう?」
「それは……そうだけど」
「ね、迎えにきて。お願い」
「そんなこといったって……。どういって部屋に入ればいいの? それこそ妙なことになるんじゃ」
「きてくれたら適当に理由つけるから。きっかけが欲しいのよ」
「でも」
「ねえ、瞬、お願いよ!」
無視できない。これで晴香の身になにかあったとしたら取り返しがつかない。それこそ、一生、晴香から離れられないような気がした。
「……わかった」
ホテルの名前と部屋の番号をきいて電話を閉じる。気がつくと篠塚が脇に立っていた。会話を聞かれたらしい。
「なにがあった」
「いえ、たいしたことじゃ……。すみません、僕、帰ります」
「瞬、彼女になにがあったんだ」
「………」
篠塚は晴香と面識がある。晴香の勤める会社はキエネの取引先でもあるのだ。彼女とはもう会わないと、以前、篠塚に公言したこともあり、呼び出され、のこのこ会いにいくのだとは言いにくかった。
「本当になにも」
篠塚が溜息つき瞬の横に腰をおろしてきた。
「隠すようなことなのか」
「そんなことは」
「なら言えよ」
しぶしぶ篠塚に会話の内容をはなす。篠塚は思案げに視線を泳がせると「おまえ、ここにスーツは置いてあるか」と、訊いてきた。
「はい」
「すぐに着替えろ」
「………」
つくりかけの料理はそのままに篠塚は自室へとむかった。瞬はいわれたとおり置いてあった替えのスーツに着替えた。着替え終わってリビングにいくと、ダークブルーのスーツに身をつつんだ篠塚が車のキーを手にまっていた。髪を整え、一見してオーダーメイドとわかるスーツをつけた篠塚は近寄りがたい雰囲気がある。はじめて篠塚のスーツ姿をみたのはマケインに暴行されかかった夜だった。
あの夜、瞬が道場からでてくると、路肩に停めてあったハイブリッドカーの脇に篠塚は佇立していた。一八〇センチの長身と、均整のとれた身体を浮き彫りにする高級感のあるダークグレーのスーツ。腰をわずかにおり助手席のドアをあける篠塚の姿をみて、しごく戸惑ったのをおぼえている。篠塚と瞬とでは生きてきた世界がちがうのだと強く意識したのも、あの時だった。さすがに今は馴れたが、それでも道着姿とスーツ姿とでは雲泥の差がある。瞬は、これほど身近にいながら一線を画してしまう自分の性格が、ときおり疎ましくおもうことがあった。
晴香がいるのは品川区にあるホテルだった。ホテルの駐車場に車を停めてエレベーターにのりこむ。それまで黙っていた篠塚が口をひらいてきた。
「相手は専務だといったな」
「はい」
「フロステックの専務か。新社長になって人事異動があったとは聞いたが、面識があったかどうか……」
教えられた部屋のまえまでいきドアに耳を押しあてる。静寂があたりを包んでいた。ドアをノックするのが憚られる。瞬と篠塚が顔をみあわせていると、部屋の中から晴香の甲高い声がきこえてきた。
「やめてくださいったら!」
いきおいよく拳でドアを数度たたく。なにかが崩れるような物音がしてきた。ドアが中からひらかれる。晴香が襟元に手をあて、つんのめるようにして飛びだしてきた。
「晴香……」