坂口成事さんが写真26件を追加しました。

 

日本国は、世界で一番古い国家でありますけれど、さらに神代があります。
大陸から南風(八重、ハエ、ハイヤ)に乗り、たどり着くのは、天草などの九州の西海岸です。
天草の牛深ハイヤの踊りは、そこからさらに南風に乗り、日本の踊りとして全国に定着しました。
牛深の牛は、ウマシアシカビの造化のカビル(発生、発声)で、角(津之)の角力(反射、坂矛)の暗示です。
ハイヤには、高級霊といわれる私自身という暗示もあります。
私たちがご機嫌よう(私自身を気づかいなさい)と使う挨拶も、実は、古の言葉では、ハイヤです。
天草の姫戸の永江の世界最大の石舞台がある矢岳、白岳、ツワ岳は、対岸の緑(三鳥丸)川を、矢部、阿蘇へと登り、祖(蘇)人の棲みかとなりました。
矢は辺降る(ヘフル、辺古、フルコト)であり、阿蘇神社の摂社、霜神社の火振るでもあります。
霜は、天降るの下(しも)であり、中国の長江(永江)の河姆渡から筑紫の加茂や鹿本として住み着いた賀茂氏の祖です。
長江の文明は七千年前程ですが、すでに一万三千年前に筑紫に上陸し芳野(一の岩戸)に住み着いた人が後に南の高千穂(二の岩戸)に移動します。
球磨の白髪岳は白岳の元でもあります。
一、ニ、三としていますのは、数千年単位の年代の差があります。
ところで、天降ると加茂から下鴨神社の名の縁となっていったのかも知れません。
そして後に朝鮮半島から戻ってきた藤原などの朝鮮熊襲が合流し、阿蘇、北の高千穂(三の岩戸)を築くのです。
北の高千穂は、古巣の南の高千穂や、すでに南の高千穂(二の岩戸)から分れた日向と合流します
一から三のすべてに関わっている隼人(ニギハヤヒ)は、元々は海の縄文人の国であった、宇舎の王族(今の天皇家に繋がる)である神日族を支える那日ムスの祭司でありました。
ですから、海幸彦(隼人)から政事(真釣りの釣竿)、実は、銅鐸は釣竿に釣るされたものであったのですが、真剣も、私たちがイメージする刀ではなく、実は、釣竿である真釣留木ですが、山幸彦(朝鮮から戻ってきた熊襲)に渡されるのです。
九州はその複雑な理由で、日の本、日の国、日向とわかれていましたが、イザナギの御祓も、筑紫の日向のといわれますように、元は同じという理解がありますので、一つの国であるのです。
話を古いところから流しますと、5、6万年程前までに、津波のために、環太平洋の山岳地帯で広く住んでいた私たちの祖先は、海に降りて、那日ムス比日仁育(熊)宇舎(人吉)という国をつくるのです。
しかしながら、1万3千年前の大津波により、国土は裏島となり、葦舟により芳(葦)野に流れ着いたものが一の岩戸周辺に住み着きます
南風(ハイヤ)が私たちへの命を繋いだのです。
踊りたい衝動と、踊りの発祥がハイヤで重なります。

しかしながら、津波のおそれなどからさらに山に移動します。
そこが南の高千穂の二の岩戸です。
ところが、九州全土に及ぶ火山活動で、移動を余儀なくされます。
まだ誰も住んでいなかった韓半島へ霧島の韓国岳周辺からた移動した熊襲神日族は、再び筑紫を中心として、韓半島から沖縄までを統治します。
契丹古伝で言われた鳥人族(海の鳥族)の事です。
早くから大陸へ渡ったものは長江で、灌漑施設により、野生米から農業を興し、河姆渡人となり、川に潜りますので河童となり後に日本に戻り、筑紫の菊地川沿いに加茂や鹿本として住み着くのです。
また、球磨川を昇ったものは、球磨に祖先の都がある事を知り、中国に太伯という日本人がつくった呉の国(日がくれる国、曰没する国の天子)から後に留学生がくるようになります。
この事が、中国からの避難民の暴徒化と、日本での神武東征に関わるのです。
時代を少し戻しますと、古代のアフリカ、ナイル川などへ移動したものは、ホルス(隼炎)神となり、エジプト文明の礎を築きます。
カナアンではウガリ神話を残し、今の聖書や、古代ケルト文化、北欧まで及ぶ、ストーンサークルなどの巨石文明を築きます。
チグリス・ユーフラテス川ではウバイドで農漁村を築き、シュメールのメソポタミア文明を興します。
インダス川では、和仁(ワニ)として、その後の宗教に影響を与えます。
シュメールから月の砂漠を渡ったものは中国などで奏などの国をつくり、日本人がつくった堯などの中国では神話の国となった国の末裔である斉などと合流し、さらに韓半島へと移動します。
韓半島に先住民としていた朝鮮熊襲と合流し日本へ渡ってくるのです。
世界名地から戻ってきた隼人と、日本に残っていた祖(襲、曾、蘇)との合流が、新しい日本の建国となり、世界で一番古い国家という事になるのですが、実際は、学校で習う歴史よりも、さらに二十倍程、遡るのです。
また、今のネイティブアメリカンの遺伝子にない、日本人特有の遺伝子が、アメリカの七千年前のミイラから見つかり、それは、十万年程前にはあったとされる環太平洋の国へと繋がります。
後世の南米ペルーでのナスカと奈良やアスカと海の縄文人の都の那曰ムスが名が似ている事にも解明の糸口があると思います。
ナスカの猿(申)は、縄文の案内であり、鳥の絵は、筑紫の国宝の宝剣の絵に似ています。
私は黄金のコンドルは、縄文の金比日の鳥を暗示していると考えています。
宇土の土器(曾畑の縄文土器)や球磨の免田式土器はアンデスやエクアドルの土器と似ています。
それは、シュメールと似ているという事にもなります。
海を隔てて、繋がる似た文明が、世界名地で、偶然に興きる事は考えにくく、それをつなげる事ができたのは、海人で海に潜り、勇気で冒険の航海に出て、星空を観察して、海で暮らしてきた日本人がいたからです。
解明できますならば、日本の国は、建国十万年になりますね。
写真は、両親が、比日密土の拝ヶ石を下った、筑紫のカワチ白浜から、ピラミッド宗教都市といわわるカワチ神殿のあるペルーに移住された、藤森元大頭領を記念してペルー通りと命令された所です。
聖ヶ塔は、古から近代に至るまで、月を読む八咫烏が集う所です。
父は聖ヶ塔病院で亡くなりましたが、歴代の天皇が、龍の水をお飲みになられる、天水湖を一望できるこの地が好きでした。
今は、先輩が、月光仮面の秘密基地をつくっておられます。
写真はお借りしています。

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