今ではすっかり家庭以外では日本語を使うことがなくなったデビ男さん。
今の会社はニュージーランドが本社の会社だけど、入社当時は日本担当の部署だったので、仕事中は基本的に日本語でした。

その後、日本担当の部署が他の部署に吸収されたため、デビ男さんは異動となりました。
そこからは全て英語。

それでもまだペラペラなんだけど、それ以上に流暢だったデビ男さんの日本語になれている私は、今のデビ男さんの日本語では「何が言いたいのかわかんない」ってことがよくあるのです。
で、最近、日本語がスラスラ出てこないことを焦り出したデビ男さんは、Ipodに日本語の曲を入れ、通勤中に聞いているそうです。

今日もデビ男さんが歌の歌詞に出てくる日本語を私に質問してきたことから、「え??そんな歌詞あった?」ってなって、一緒にYoutubeで曲を聴くことに。
それがエスカレートして、懐かしい曲を聞きまくりました。

デビ男さんはスピッツが好きで、一緒に聞いてたんだけど、スピッツって懐かしい曲でも、今聞いても全然古臭い感じしない。

そして私は何が好きだったかな~って考えたら、槇原敬之だって事を、思い出した
その中でも忘れられない曲があるの。

「遠く遠く」って、有名な曲なんだけど、九州の大分出身の私が、大学で京都に行って、ホームシックになってた時、友達がこのCDを送ってくれたんだよね。


その時までこの曲は普通に好きくらいだったけど、それ以降は大切な曲になりました。

そして大学卒業後地元に戻ってデビ男さんと会い、数年後、東京に行くというデビ男さんを追って私も上京。

当時25歳だったかな。
学生時代を東京で過ごしたならまだしも、25歳過ぎて初めて住む東京は私には過酷でした。田舎好きだった私が渋谷に住んでたんですよ

東京が大嫌いで、その頃やっぱりこの曲をよく聞いてました。
なんか単純にがんばろう!って思えるんです
別に両親の反対を押し切って東京に行ったわけじゃないけど、簡単に帰れない気がしてたんですよね~。うちの両親はすごく物事の順序や常識とかを重んじる人だから、結婚前の同棲を許すことはかなりの決心だったと思うんです。それだから、やっぱ無理でした~っていうのは私もできませんでした。

この歌だけじゃないけど、いろんなことに恵まれて、東京で5年を過ごした間に結婚もし、NZ移住を最後まで渋るくらい、東京が大好きになって(笑)、泣く泣く日本を離れました。

この曲を知った時以上に今は自分の生まれ育ったところから遠く離れてしまったけど、不思議とNZに来てこの曲を聞こうと思ったことはなかったな~と

それだけ寂しがらずにやれてるってことでしょうか。ははは。

でも久々に聞いてみたけど、がんばろう!っていう前向きな気持ちというより、懐かしさがこみあげてきて、あの頃の私はちっさいな~と笑っちゃいました。
今では海外で寂しがらずにやれてるんだから。
これもここで家族の形が築けてることとか、友達とか、そしていつも助けてくれるデビ男さん両親とかのおかげですね。

それに今ではスカイプもあるし、日本にいたころよりよっぽど親の顔見て話してると思います



にほんブログ村