『雨』を『お母さん』に置き換えてみてもいいお話 | へたれオカンは今日も笑う!

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杉野家の日常です!

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皆様こんにちは。

昨日のおしゃべり元保護者の記事は、

∟■記憶のすり替え事案■

タイトルだけ見ると、少しお堅い内容に思えますが、

実は、こちらの記事でアップしようと思った、大爆笑記事です。

なんと、バーバの記憶のすり替えが、杉のたちの目の前で行われた瞬間のお話です。

 

だけど、本当にこうやって、

昔の記憶を、簡単にすり替えることができるのが、人間なのだろうな。

 

子供の頃の記憶だって、そうやってすり替えが行われている。

杉の自身、

10年ほど前、「あ、そうじゃなかった」って思い出したことがある。

 

杉のはずっと、

「自分は子供の頃からずっと雨が嫌いだった」

「自分は雨にいい思い出がない」

「雨に苦しめれていた」

って思っていた。

 

それはきっと、

小さいときから運動会や遠足が中止になったりすることで、

幾度となく、「私の晴れ舞台」を台無しにしてくれた存在だからだ。

実際、今だって雨は大嫌いだし、雨には、これまでさんざん迷惑をかけられている。

自分自身、中学時代、雨が降る中の、ソフトボールの試合は最悪だったし、

その後のグランドは凸凹で、グランド整備がとんでもなく大変だった。

有がソフトボールを始めたときは、

雨の日の練習の後、泥んこのユニフォームを洗うのが大嫌いだったし、

第一、今も、雨が降っただけで、気分がダダ下がり。

そして、

福井県豪雨のとき、友達の娘が車ごと川に落ちて亡くなった。

 

「雨にいい思い出なんてない!」

「雨なんか嫌いだ」

 

ずっとそう持っていた。

だけど、

あるきっかけで、杉のは、

昔、

雨が大好きで、大好きで、

雨が降るのを心待ちにしていたことを思い出したのだ。

 

そのことが、この記事に書いてあります。

昔のブログで一度公開していたことがあるけれど、

また一度お読みいただけたらと。

 

記憶のすり替えって、

たぶん、

今の苦しみを正当化するために行われるものなのだろうけど、

結局は、

今の自分が、小さかった時の自分になにか言われそうで、

それを認めたら、

今の自分が可哀想で、

今の自分があまりにもダメに思えるから、

必死に、心の奥に追いやって生きてしまうことから起こるのだろうな。

 

今日のこの記事、

「雨」

「お母さん」

 

に置き換えてみても面白いと思う。

 

 

 

 

てなことで、今日はこのへんで。

 

最後までお読みいただいてありがとうございます。

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