『アベノミクスの成否を問う「一億総活躍」わが真意』 | みおボード

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安倍晋三(内閣総理大臣)

私は、9月24日 自民党総裁再選を報告する両院議員総会後の記者会見で「アベノミクスは第2ステージへと移ります」と宣言しました。
その展望を語る前に、まずは第1ステージの成否を私なりに振り返ってみようと思います。

2012年12月。我々が民主党から政権を奪還した当時を振り返ってみますと、当時、日本経済はデフレの真っただ中にありました。

物価が下がり、給料も上がらず、国の税収も低迷し続けていた。
税収の低迷は、社会保障制度の基盤崩壊に直結します。漠然とした不安感に、日本中が包まれていたように思います。

デフレ下では、経済が縮小していくのみならず、ものの見方や考え方までデフレ・マインドに陥ってしまいます。
あの頃は、「日本はもう二度とデフレからは脱却できないんだ」という考え方が定着し、無力感すら漂っていました。

そこで、政権を奪還した私が真っ先に掲げたのが、「デフレからの脱却」であり、そのための武器として持ち出したのが、アベノミクスの「3本の矢」でした。

「第1の矢」は「大胆な金融政策」ですが、当初は批判の声が大勢を占めました。
日本の伝統的なマクロ経済政策とは異なる政策ですから、ある程度の反発は予想しましたが、批判の苛烈さは、予想をはるかに越えていました。
メインストリームの経済学者のほぼ全員から、「金融政策で物価を上げるなど、できるわけない」「無鉄砲な、極めて危うい政策だ」などとバッシングを受けました。

しかし、バブル崩壊後の20年余り、あらゆる政権、あらゆる政策がデフレを解決できなかったのは厳然たる事実です。
それはなぜか? 2007年に最初の総理の座を辞してからこの問題を考え続けてきた私は、批判を恐れ、リスクを取って思い切った政策を実行してこなかったからだと結論付けていました。

アベノミクス第1ステージの成果は、今や皆さんに十分ご理解いただけたと自負しています。

1ドル80円を切るような行き過ぎた円高は、是正されました。日経平均株価も8千円台から2倍以上、上昇しました。
仕事が国内に回帰し始め、100万人以上の雇用を生み出すことができました。
昨年の有効求人倍率(平均)は、1.09倍と7年ぶりに1.0を越え、23年ぶりの高水準となりました。

正社員はどうなんだ、とのご批判もあります。確かに正社員に限った有効求人倍率は0.7程度ではありますが、この数値も、同統計が開始された04年以降では最も高い水準にあります。
給料も17年ぶりの高水準となる賃上げを実現することができました。昨年冬のボーナスの伸び率も24年ぶりの高水準でした。

成果を自慢したいがために数値を並べたわけではありません。ただ、客観的に数値を見れば、「日本はもう一度成長することができるのだ」という確かな自信を、我々日本人は取り戻すことができるのではないでしょうか。
今まさに、日本経済は「デフレ脱却」まで もう一息というところまで来ているのです。

<「新・3本の矢」のバックボーン>
大胆な金融緩和とともに、もうひとつ、経済学者や有識者の方々からよく批判をされたのは、昨年末の「消費税増税延期」を焦点とした衆院解散・総選挙でした。

ただ、私が最も重視したのは、我々の最終目標はデフレから脱却して日本経済を成長させ、税収を増やして財政健全化を図ることである、という一点でした。

消費税を2014年4月に8%、15年10月に10%にするということは、2012年の民主党・野田政権時に激しい議論を戦わせた末に、
当時の民主、自民、公明の3党で合意し、法律で定めたものでした。

しかしながら、昨年、7月から9月のGDP速報によれば、個人消費は4月から6月に続いて 前年比2%以上も減少していました。
4月に実施した消費税8%への引き上げが、個人消費を押し下げる「大きな重石」となっていることは明白でした。

さらに10%へと再増税すれば、「デフレ脱却」の千載一遇のチャンスを自ら捨て去ってしまう、
その一念で私は 決断を下したのです。

ただ「税こそ民主主義」ですから、その根幹を大きく変更する際には 解散して国民の信を問うべきである、というのは、私にとっては当然の論理的帰結でした。

先の上海株式市場の下落により顕在化した中国等の景気下振れリスクを鑑みるに、もしこの10月から予定通り消費税を10%に引き上げていたら、日本経済は今頃一体どうなっていたでしょうか。

一方で、一部には「再来年4月からの消費税10%も、再延期も含めて柔軟に考えるべきだ」
とする論調もありますが、それには与しません。

リーマンショックのようなことが起こらない限り、2017年4月には消費税は間違いなく10%にします。
同時に現在、その制度設計について議論を重ねている軽減税率も導入します。
その時までに、何としても日本経済を上昇気流に乗せることが必要不可欠です。


アベノミクス第2ステージの「新・3本の矢」はそのための手段です。

第1の矢は「希望を生み出す強い経済」、第2の矢は「夢をつむぐ子育て支援」
第3の矢は「安心に繋がる社会保障」ですが、まずは新・3本の矢を貫くバックボーンについてご説明しておきたいと思います。

この2年10ヵ月、私は日本への投資を呼び込むために、13年夏のロンドン・ギルドホール、
14年1月のスイスでの世界経済フォーラム年次総会(通称ダボス会議)、あるいは毎年の米ニューヨーク訪問など、世界各地で、私なりの言葉で海外投資家にアベノミクスをセールスしてきた。
文字通り、「バイ・マイ・アベノミクス!」と強く発信を続けてきました。

それは一定程度の評価を受ける一方で、海外投資家からはこんなシビアな声が常に聞こえてきました。
「少子高齢化の中にある日本は、たとえどんな改革を進めても、今後必ず人口が減っていく。
持続的な成長が見込まれず、投資リターンが期待できない」

彼らからはいつも、「この構造的な問題を、アベノミクスはどう解決するのか?」という問いが突きつけられてきたわけです。

日本が少子高齢化に死に物狂いで取り組まない限り、海外からの日本への持続的な投資は呼び込めない—
これが私の紛うことなき実感でした。

<愛ちゃんからの手紙>
では、何をすべきか。第一歩が、少子高齢化の流れに歯止めをかけることであり、
そのためのメルクマール(指標)が「50年後も人口1億人維持」なのです。

現在の出生率(1.4)がこのまま続けば、50年後には日本の人口は8千万人余りとなります。なおかつ、総人口の4割が65歳以上という「超高齢社会」が出現します。
さらに100年後には人口は4千万人となる。現在の人口の3分の1であり、それは国力衰退に直結します。

終戦直後の日本の人口は約7千万人でした。そこから20年間、人口増と高度成長を続け、1967年に初めて日本の人口は1億人を突破した。
国民の生活も年々豊かになり、70年代には「1億総中流」という言葉が流行しました。

「1億人」は日本の豊かさの象徴的な数字です。50年後もこの1億人が維持できれば、その時点の人口構成比も65歳未満が3分の2となり、年齢階層別の不均衡も解消される計算になります。

無論、ただ人口1億人を維持すればよい、というわけではありません。
1億人のひとりひとりが活躍する。家庭で、地域で、職場でやりたいことができる。
それぞれの能力を発揮できる、輝ける社会の仕組みを整備することが まさに政治の役割です。

例えば「女性が輝く社会を作る」。これも政権発足以来、最重要テーマのひとつであり続けています。

仕事と育児の両立に資するため、2013年度から、5年間で40万人分の保育受け入れ先確保を目指す「待機児童解消加速化プラン」に取り組んでおり、保育所整備を従来の2倍の速さで進めています。
それでもまだ2万人以上の待機児童がいますから、今後もさらにスピードを上げていきます。

また、男性の育児参加を促すために、昨年4月から、育児給付金は最初の半年間、休業開始前賃金の67%としました(以前は50%)。
女性の潜在労働力(何らかの理由で働いていない就職希望者)は300万人以上です。
対策をひとつずつ積み重ねていくことで、女性がさらに働きやすい社会を作ります。


もちろん女性だけではありません。私自身が一度失敗した人間だからこそ強く主張したいのが、失敗しても再チャレンジできる社会の構築です。

例えば米サンフランシスコにあるハイテク企業の一大拠点、シリコンバレーでは、才能ある多くの若者が起業し、少らからぬ人が失敗しているそうです。
しかし、挑戦し、失敗した経験が むしろ周囲に評価される風潮があるといわれます。

翻って日本はどうでしょうか。
一度失敗すると「あいつは駄目だ」とレッテルを貼られる雰囲気が今も根強いのではないでしょうか。
私が2度目の総理の座に挑むにあたっても、そうした雰囲気を感じました。

しかし2度目の総理に就任して思うのは、一度経験したこと、挫折したことが、今あらゆる判断を下す際の大きな糧になっているということです。

例えば斬新なアイデアを持つ若者や、豊富な経験を持って脱サラした人が果敢に起業できる環境を整えることが日本経済に新たなダイナリズムを生み出すでしょう。

そのために政治ができることは何か。
例えば、経営者自らが個人保証で融資を受けると、事業が失敗した時に家も財産もすべてを失い 路頭に迷うことになりかねません。

この個人保証の慣習を断ち切ることで、起業を阻む心理的な壁を取り除けるはずです。
日本政策金融公庫と商工中金ではこの1年半の間に、すでに個人保証なしで8万件、金額にして3兆5千億円の融資実績を積み重ねていますが、これをさらに促進したいと思います。


また、私が潰瘍性大腸炎という難病を長年患ってきたのは周知の事実ですが
そんな私に、生まれつき小腸が機能しない難病で幼い頃から普通の食事はしたことがないという 愛ちゃんという中学生(当時は小学生)から手紙が来たことがありました。

大変印象深く、昨年の施政方針演説でも取り上げたのですが、病室を見舞った私に、愛ちゃんは可愛い絵をくれました。

そこには「私は絵をかくのが好きで、将来 絵本作家になって、たくさんの子供を笑顔にしたいと思っています」と書かれていました。
その後も何度か会ったり手紙のやり取りをしています。こうした難病に苦しむ方々が夢に向かって頑張ることができる社会をつくることは、私の天命であると感じています。

昨年、『難病の患者に対する医療等に関する法律(難病医療法)』を成立させましたが、
その結果、医療費を助成する範囲は従来の56持病から大幅に拡大して300持病になるなど、少しずつ改善を重ねています。


私の地元、山口県・長門市の詩人、金子みすずの有名な詩にこんな一節があります。
「絵と、小鳥と、それから私、みんなちがって みんないい。」

十人十色。それぞれの特色があって、それぞれの希望がかない、それぞれが生きがいを持てる社会を私は作りたい。

単に金銭的な意味での「1億総中流」を私は志向しません。
そうではなくて、若者もお年寄りも、女性も男性も、
難病を抱えた人も障害がある人も、一度失敗した人も、みんなが活躍できる社会を作るために、それを阻むあらゆる制約を取り払いたい。
そうした思いから生まれたのが「1億総活躍」なのです。

「1億総玉砕」や「1億総懺悔」を想起する、などという批判があるようですが、
そうした、すべてを画一的な価値観に嵌め込むような発想とは全く逆の考え方から生まれたスローガンであることを、ぜひご理解いただきたいと思います。