老いと健康の危機管理術 | みおボード

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みおさんの生活♪♪

石原慎太郎(作家)
佐々淳行(初代内閣安全保障室長)

**(略)**

<47年前の出会い>

(佐々)… 石原さんに最初にお目にかかったのは、昭和43年でした。もう47年も前のこと。

僕が警視庁の警備課長になるころ、第五機動隊の西条秀雄巡査部長が殉職したんです。神田の日大経済学部で全共闘のバリケード封鎖を解除する際にね。
まだ34歳だったから若い奥さんとふたりの子供が遺された。

(石原)… 建物の間のごく狭い通路を行く警官に向かって、学生たちは屋上で花壇のブロックをぶっ壊して、投げ落としたんだよな。
負傷して倒れた部下をかばおうと屈みこんだ西条さんの頭の上に、その塊りが落ちたんです。それで殉職した。

学生たちのたむろしていた教室の黒板には
「投石して、警官に当てた奴にはピース1本、怪我させた奴にはピース3本、殺した人間にはピース1箱」と書いてあった。そういう時代だったんですよ。

(佐々)… 西条のお葬式は公葬だったのに、自民党は石原さん以外、誰も来なかった。自治大臣も政務次官も来なかった。秘書官かなんかが名代で出ているだけ。

(石原)… 騒いでいる学生たちは「造反有理、造反有理」と叫んで、メディアや世論はほとんど彼らの肩を持っていたからね。

(佐々)… 機動隊は悪者みたいに言われていた。自民党の中で頑張っておられたのは、石原さんひとりでした。
全国区で300万票取って当選した、輝ける参議院議員だった。

(石原)… いいよ、そんな話(笑)。誰も一顧もせずに、僕はその未亡人が本当に気の毒だと思ったんだ。
当時一番売れていた『女性自身』に諮って取材させたし、官舎へ弔問にも行ったんです。それで佐々さんと知り合って、感謝もされたけど。

(佐々)… そのあと、警備課長室に見えましたね。警視庁の課長室へ“300万票”が来るなんて、あり得ないこと。

慎太郎さんは颯爽たる姿で、庁内のミーチャンハーチャンがたくさん押しかけてきた。そういえば、ここへお見舞いに来てくれた時も、ホーム中が大騒ぎになったな。

(石原)… 課長室に、戦艦大和のプラスチックモデルが置いてあったね。
「日本のかつての誇りだから」と言うので、いいことだなと思った。それでふたりで猥談かなんかしていたら、電話がかかってきた。

すると、すっくと立って、それを受けて凛とした声で「警備課長 佐々だ」と言った。
「君子豹変する、だな。さすがに警察幹部だ」と思ったね。覚えてないでしょう。

(佐々)… 覚えてる、覚えてる。「学生にはガス弾ぶちこめ」とか慎太郎さんの前で言ってしまったら、「ものすごい乱暴な指揮してるな」っていう話になってね。

(石原)… 当時印象的だったのは、佐藤栄作総理が、落城後の東大安田講堂の前へ行って涙を流したこと。
しかし、催涙ガスが残っていて涙が出ただけ。別に、慨嘆して泣いたわけじゃない。

(佐々)… 昨年上梓した『私を通りすぎた政治家たち』(文藝春秋)では、佐藤さんのことも、あなたのことも書かせてもらいました。
もうすぐその続編を出すんですよ。今度は女性の話で、『私を通りすぎたマドンナたち』っていうのが編集者の考えている題名。

といっても、麻生和子さん、土井たか子さんや曽野綾子さんといった人たちの忘れ難いエピソードを収めた本なんだけどね。
誤解を招いて 大騒ぎになるよ(笑)

(石原)… あなたがここに入った理由のひとつは、マドンナなんじゃない?
奥さんにばれて「面倒見きれない。さっさと出ていきなさい」って追い出されたんでしょう。
自分の危機管理はできない人なんだ。自業自得だよ(笑)

(佐々)… いや、自ら出てきたんだよ。

<後輩たちへの助言>
(佐々)… 佐藤栄作さんを通じて、角さん(田中角栄)にもしばしば会いましたよ。角さんは僕を好きだったかもしれないけど、僕はどうもあの金権体質がね。
やたらお金を持っていて、すぐ配るんだよね。僕は幸いにして貰わなかった。

(石原)… 僕もついに一銭も貰わなかった。でも、やっぱり魅力のある人だったな。ああいう中世的なバルザック的な人間というのは、日本の社会には もういないな。

(佐々)… マドンナ物語のほかにも、書いてるものはあるんですよ。
これから自衛隊が海外に出るにあたって、交戦規定をどう作るか、とか。

(石原)… 僕の主治医は脳外科の大家なんですけど、防衛省の識者の会合の座長になったんです。
一回目の会合のあと聞いたら、「石原さん、このままだと、負傷しても助かるはずの自衛隊員が死にますよ」。

米軍の場合、戦闘中に負傷したら、すぐに仲間が来てモルヒネを射つ。そして止血して、ヘリコプターで野戦病院に運ぶ。
その間、当人は痛みは感じないんですよ。

ところが自衛隊員はモルヒネを持ってないし、注射する訓練もしてない。
「このまま作戦行動したら、バタバタ死にますよ。助かるものも助からない」と言うんです。

(佐々)… その通り。米軍では、一個分隊10人に対して 衛生兵が2、3人います。
モルヒネをもちろん持っているし、血管注射なんかできませんから、軍服の上から ズブッと腿に射つという乱暴な注射。そういうシステムができている。

だから自衛隊の医官が行くと、あまりの違いにビックリするんですよ。もっと政治家も政府も自覚してほしいんです。

(石原)… これから自衛隊員が一人でも戦死してごらんなさい。大騒ぎになって、自衛隊は崩壊しますから。
そういう盲点を、自衛隊も国会議員も政府も認識してない。とても貴重な指摘なので、僕は菅官房長官に電話して伝えたんです。

(佐々)… 自衛隊員が発砲しちゃいけないというのも、大変バカな話でね。

刑法36条の正当防衛、37条の緊急避難というのは、普通の人に適用される話。
自衛隊の場合は、刑法35条の正当業務行為なんです。銃砲とか爆弾といった武器の使用は、自衛隊の業務行為と必然的に同義語なんですよ。

(石原)… だけど佐々さんが言ったように、この国には交戦規定がない。だから自衛隊は、どんな時に撃っていいかわからない。
状況判断しろと言われる現場の司令官は本当に大変ですよ。

(佐々)… 僕もそんな話を安倍さんに意見具申しているんです。

(石原)… 僕はこの間 安倍さんに会った時、「東京裁判の戦争史観を踏襲する必要は絶対ない」と言ったんです。

東京裁判やA級戦犯なんていうのは、国際法で全然通用していないんだ。そういうことを考えて、安倍さんにはしっかりしてほしい。

「石原さんみたいに戦中戦後の原体験をもった人にいてほしかったんです」と、半分お世辞か知らないけど言われたけど、こちらも もういい歳だからね。

僕はいま白人支配の時代は完全に終わったと思っています。それを象徴するのが「イスラム国」のテロリズム。いいことだとはちっとも思わないけど、歴史の蓋然性はある。

そういうことを総理に忠言する人間が、どこにいるのか。アメリカに屈従して享受してきた奴隷的な平安を 是としてきた連中じゃ駄目なんだよ。

(佐々)… それにしても安倍さんは、すごく元気だよね。

(石原)… あれだけタフな外交スケジュールで動いている政治家って、いままでいなかったですよ。

<もう一勝負「突入せよ!」>
(佐々)… 石原さんには都知事時代、いろんな業績がある。たとえば羽田空港に4本目の滑走路を作って いまの国際化を実現したことや、会計制度を一変させたことや、東京の空気を清浄にしたこと。

本人が照れ屋で功を語らないものだから、みんなよく知らないんですよ。

あなたと組んだ3回目の東京都知事選(2007年)。苦戦だったけど、本当に面白い戦いだったね。

(石原)… 新銀行東京でつまづいた時だったからね。宮城県の前知事が出てきて、オリンピック誘致反対だとか言い出して。

(佐々)… 僕は選挙参謀として、あれほど勝手にやったことないし、うまくいった。
とても状況が悪かったけど、負け戦から盛り返した。伸晃さん、典子夫人、そして何よりご本人が僕の言う通りにしてくれた。

(石原)… したよ、僕は(笑)

(佐々)… それで勝った。僕の考えた「反省しろよ慎太郎。だけどやっぱり慎太郎」というキャッチフレーズで決定的に勝負がついた。

(石原)… 今度、都政13年間の回想記を出すんだけど、やっぱり政治家っていうのは、ある程度の権利、権限、権力を持たないと意味がないし、それを自分の発想で存分に駆使しないと駄目なんです。

いま思い出したけど、竹下登がうまいこと言った。
「石原さん、総理なんて儚いもんだよ。歌手3年、総理2年の使い捨て」って。
歌手は1曲ヒットを当てると、ドサ回りで3年は保つ。しかしあの頃の自民党は、2年ごとに総理が変わってたんでね。
僕が都知事を13年もやれたのは つくづくよかったと思う。

(佐々)… 慎太郎さんが「僕も衰えたよ」とこぼしたのは つい数年前。
聞けば、「都庁の知事室まで、エレベーターを使わないで行けなくなった。息を切らさず走り上がったものだ」と言うから、
「都知事なり総理大臣に要求される体力は、オリンピックじゃない」って言ったんだよ(笑)
より強く、より高く、より速くじゃなくて、持久力や忍耐力だと。

(石原)… この間も、久しぶりに初島レースでヨットに乗ったんだけど、舵は引けないし、足がクタクタになっちゃった。

みんなに迷惑かけるから、もう華々しいレースには乗れないなと思ってね。ついイライラして、一番近くにいる女房に当たったりする。
僕もそのうち、佐々さんみたいに追い出されるかもしれない(笑)

(佐々)… だから追い出されたんじゃないよ。僕が自分で選んだんだよ。
しかし本当に、石原さんとは もう一勝負できるんじゃないかと思うんだ。

(石原)… お互い、頭はまだ使えるでしょう。いまの政権に足りないのは、ブレーンだね。
佐藤栄作さんには楠田實さんという素晴らしい総理秘書官がいて、賢人会議というのを作ったんですよ。
高坂正晃や梅悼忠夫、江藤淳などがメンバーだった。自分を売り込むわけじゃないけど、ああいったブレーンストーミングを安倍さんのためにやってやりたいよね。

私も佐々さんも、戦後のさまざまな歴史の現場に身体を張って立ってきた。
そういう体験を、日本のために生かしたいよ。

(佐々)… 慎太郎さんと新党運動やったり、一緒に総理への道を目指したりした時も、いつかまた都知事選みたいな「合同作戦」をやると思っていた。
今はその前にしばらく休んでおこうということ。我が慎太郎さんは まだまだ余力を備えているよ。

(石原)… よし! もう一度「突入せよ!」だな(笑)