インド系知識人が日本を過小評価する傾向はなぜなのでしょうか。

この問題を考えるについて2冊の本が参考になりました。1冊めはブルーンバーグなどでコラムを書いているパンカジ・ミシュラのFrom the Ruins of Empireという本です。

この本はアジアが受難の近代をくぐり抜けるにあたり、重要な役割を果たしたアジアの3人の思想家を取り上げています。この中でインドに関して注目すべき人物は戦前にノーベル文学賞を受賞したタゴールという詩人・思想家です。

もう一冊が中島岳志氏が書いた『中村屋のボース』という本です。この本の主人公であるR.B.ボースという人はイギリス総督に対して爆弾テロを起こして日本に逃げてきました。

当時の日本はイギリスの同盟国であり、イギリスに執拗に国外退去を求められますが、頭山満などの助力でその頃パン屋として繁盛していた中村屋にかくまわれます。このことが後に中村屋カリーが誕生する契機となったようです。

そのボースですが、彼は遠い日本の地から祖国インドの独立を願い、日本語を使って多大な啓蒙活動を行ったのです。

タゴールとR.Bボースは政治思想で似たようなところがあるのですが、決定的な違いがいくつか存在し、それがインドの政治思想に反映していると思われます。

タゴールはインドがイギリスの植民地下であった1861年にインドで最も西洋化が進んだベンガル州に生まれます。

しかし、西洋の個人主義や物質主義に絶望して、昔ながらの田園地帯に希望を見出します。そして西洋の価値よりも、東洋に古くからあるイスラム教、仏教、孔孟の教えの優越を説き、西洋化に一途に走ることは否定的でした。

マレーシアのマハティール元首相やシンガポールのリー元首相などが述べる「アジア的価値」の原点はインドのタゴールにあったのです。

ではタゴールはいかにしてインドをイギリスから独立させようと考えていたのでしょうか。

タゴールは基本的に近代ナショナリズムや軍事力という概念は否定していますので結局はイギリスとの話し合いで独立を達成しようとします。

この点が革命家であるR.Bボースには全く納得のいくものではありませんでした。彼はイギリスから独立を達成するためには軍事力は欠かせないと考えていたのです。そこでボースは日露戦争に勝利した日本に頼ることをになったのです。

タゴールは日本について、日露戦争の勝利には感動したもののどちらかといえば終生批判的に見ていたようです。

日本が文明開化に邁進していたのも、日本が西洋に魂を売り渡したように感じていたようで、特に朝鮮を併合したことでその考えに拍車がかかったようです。

「機会があれば日本はインドを狙うだろう」とまで言っています。

R.Bボースも日本が帝国主義をとることに否定的で、次のように書いています。

「我らの最も遺憾とするところは、声を大にしてアジアの開放、有色人種の大同団結を説く日本の有識階級諸公にして、猶中国人を侮蔑し、支那を侵略すべしと叫び、甚だしきに至りては、有色人種は性来、白人に劣るの素質を有するが如くに解することこれである」

タゴールもR.Bボースも中国人に対しては一貫して同情的でしたが、彼らの中国についての見方ははっきりと分離します。

満州事変の後にボースは、「日本は従来この意識(アジア人的意識)に基づいて、日支共存共栄の為に尽くしてきた。然るに支那は昔ながらの以夷制夷の術策をとり、白人の勢力をひいて、日本の勢力を打壊せんとした。そこで隠忍に隠忍を重ねて来た日本をして、遂に堪忍袋の尾を切らしめ遂に今回の満州事変が勃発したのである」と書いています。

また別のところでは、「支那の指導者達の多くの声高き宣言あるにも拘らず、支那の内乱の根本には支那の指導者達の烈しき嫉妬と利己心があるということを認めるより他はない」とも書いています。

一方タゴールにとって中国は被害者である側面が強く、ボースが考えているような中国に対する批判や懐疑心が全く欠けているのです。

タゴールとR.Bボースの対外関係の思想を比較して思うのは、タゴールには必要以上に日本に猜疑心を持っていることと中国に対しての批判精神の欠如です。

そのことは英米のメディアで活躍する現在のインド系知識人の実態を正確に表しているように思います。

インド系リベラルが日本を欧米や中韓以上に批判したり、中国を賞賛する意識の原点にはタゴールの思想が影響しているのです。