私は近衛文麿が28歳の時に書いた「英米本位の平和主義を排す」は、日本におけるいわゆる現実主義的な立場からの見事な論文だと考えています。その分析や予測は並の人が書けるものとは到底思えません。

では近衛はどのようにしてそのリアリズムの思想を得たのでしょうか。今回私は、工藤美代子さんの『われ巣鴨に出頭せず』を読む以前にちょうどジョン・ルイス・ギャディスが書いたアメリカの外交官であり、ソ連封じ込め政策の基礎を作ったジョージ・ケナンの伝記を読み終わっていて、近衛とケナンに多くの共通性があるのを発見しました。

近衛とケナンは、生まれてからすぐに母親を亡くし、母親からじゅうぶんな愛情を受けられなかったことを工藤さんやギャディスは強調して書いておられます。

そして幼少期に母親を亡くしたことで、近衛とケナンには同じような性格があらわれたと二人の伝記作家は書いています。

それは、自分の人格をなかなか肯定できず、すぐに自分嫌いになるという癖です。

彼らは幼少の時から、飛び抜けて優秀だったのですが、そのようなことも彼らの「自分嫌い」には何の効果ももたなかったようです。

ただ、自己を肯定できないという状態がいきすぎるとそれはニヒリズム(虚無主義)におちいる危険性があります。そこで希望をもたなくてはいけないのですが、彼らはいつも自分嫌いの現実と希望をバランスさせながら生活していくという厄介なことを続けていかなくてはなりませんでした。

このような複雑な性格が、ものを書く時にも反映されて、理想と現実の際どいバランスを描くことができ、他の誰もが見ることのできない遠い将来を見ることができたのかもしれません。

ただケナンと近衛の生まれた環境は真逆でした。

ケナンはアメリカ東部のエスタブリッシュメントの子弟ではなく、中西部のミルウォーキーの出身で父親は弁護士だったそうです。

ところが、ここでも彼らの「自分嫌い」は十分に発揮され、ケナンは終生庶民的な生活よりも貴族的なものに憧れたそうです。

一方近衛の場合、彼の出身は藤原家の血を継ぐ貴族中の貴族でしたが、ケナンとは真逆で、貴族の風習やしきたりが大嫌いでした。

工藤さんは、近衛文麿に影響を与えた小説としてトルストイの『復活』を挙げていますが、その本の内容は「主人公のネフリュードフ公爵が、下層階級の女との愛を遂げるために身分も財産も捨てるという」ものでした。

幼少時における母親の喪失が、一方では民主主義が嫌いなアメリカ人を生み出し、もう一方で爵位を捨てたがる貴族を生みだしたわけです。