クルーグマン教授のブログの日本に関する部分でGauti B, Eggertssonという人の論文が取り上げられています。その論文に高橋是清の経済政策に関することが書かれていたので、その部分について記述してみたいと思います。

1929年に世界大恐慌が起こると、日本でもすさまじい勢いでデフレが加速していきました。消費者物価指数をみると1929年に-2.3%,1930年では-10.2%、1931年でも-11・5%といった具合でした。このデフレの間、経済は全然成長していません。1929年は0・5%、1930年は1.1%、1931年は0.4%という体たらくです。

現在のデフレは1998年から始まったわけですが、大恐慌時と比べると比較的にマイルドだったことがわかります。10%も物価が下落するようなことは今回は起こりませんでした。

ただ菊池英博氏が『日本を滅ぼす消費税増税』という本で興味深いことを指摘しています。

「昭和のデフレは1925年に始まり、昭和恐慌に陥った1930年には累積デフレ率が21%に達していたので、現在の平成デフレは、昭和恐慌が始まったと同じ時点にきている。」

「累積デフレ率」という観点からみれば、昭和初期の国民も平成の国民もそれが20%を超えたところで我慢の限界を感じ、前者は引退していた高橋是清を復活させ、後者はアベノミクスに期待したのです。

1931年の12月に高橋是清は大蔵大臣に任命されますが、彼の政策の三本柱をEggertssonはこう書いています。

1、彼は金本位制を廃止させた。

2、彼は国債を日銀に裏書きさせることによって、金融政策を財政政策の従属下においた。(Eggertsson論文は、デフレ時には中央銀行の独立をやめさせなければならないというのが主なもののようです。)

3、財政の支出を拡大した。

これらは安部首相が行おうとしている政策とほとんど同じです。

この政策の結果を消費者物価指数と経済成長とで確認してみましょう。

消費者物価指数は1932年には1.1%と早くもプラスに転じ、1933年は3.1%、1934年は1.4%、35年は2.5%となっています。

一方、経済成長の方でも、1932年には4.4%と低成長から脱し、1933年には10.1%、1934年には8.7%という劇的な成長を果たしているのです。

日本にはこのような素晴らしいデフレ脱却の歴史があったのに、安部首相の再登板までなぜこの事例が政治の世界で顧みられなかったのかは疑問が残るところですが、ようやく日本にも一筋の光明が見えてきたようです。