安部首相の朝鮮半島に対する認識は甘いのではないかと以前に書きました。

今、ちょうどロー・ダニエルの『竹島密約』を読み直しているところですが、この本の中に安部首相の祖父である岸信介の朝鮮半島に対する態度が書かれています。

戦後、韓国が一方的に竹島を含む李承晩ラインを設定したために、日韓の間に険悪な空気が流れます。

岸信介はこの日韓の危機を乗り越えようと努力するのです。

『竹島密約』に描かれている、岸信介の韓国に対する発言を少し引用してみます。

「もともとわれわれが子供の時から育った環境でいうと、韓国というのは非常に近くて、釜山との距離は北海道や青森なんていうものではなく、ごく隣という感じです。したがって日韓が断絶した関係にあるということは漁業者、県民が困るということだけでなく、感情的にいっても韓国問題をなんとかしなければならないと思ったね。」

これは以前に私が指摘した長州藩の伝統とも言えます。岸はもっと強烈なことを語っています。

「私が生まれた山口県の萩港は、徳川幕府時代の貿易船だった朱印船が朝鮮半島と往来したところで、私の血にも韓国人の血が混ざっているかもしれない。」

これが事実ならば、安部総理にも韓国人の血が入っていることになるわけです。

さて、岸が実際に韓国に対してどのような外交をとったかといえば、今からだと信じられないくらいに融和的だったのです。東條内閣の国務大臣であり、戦犯になった男とは思われません。

彼は、韓国との外交に八次一夫という個人的な特使を李承晩に派遣するのですが、その八次氏が『文藝春秋』に「岸首相は日帝統治時代に日本軍閥が韓国国民に対して犯した蛮行をいつもすまなく思っており、また当時の日本の世界政策がどうあったにしても、伊藤博文が隣国を合併したことは大きな失策であったと考えている」と書いているのです。

戦後の韓国に対する融和的な土下座外交は、意外にも岸信介が始めたのです。

私は、この文章を読んで、感じたのが「長州のマッチ・ポンプ」でした。

戦前は長州が中心になって率先して韓国を併合しようとし、戦後はまた同じ長州人が今度は韓国を融和しようとするのです。

併合することと融和することは一見正反対の行動ですが、実は「日本と韓国とは特別な関係である」という観点から見たら全く同じことなのです。コインの表と裏というやつです。

私は、このような不健全な関係は、早晩捨てるべきだと思っていますが、本当にできるかは確信が持てません。

さて安部総理についてですが、韓国の『朝鮮日報』や『中央日報』では毎日ヒトラーのように書かれているのですが、現在彼の韓国に対する外交は祖父の岸信介の外交に似ていると思わざるをえません。