こまつ座「兄おとうと」(その3 この戯曲の再演について) | こだわりの館blog版

こまつ座「兄おとうと」(その3 この戯曲の再演について)

兄おとうと

昨日からのつづき

今回の【大増補版】は、1場増えております

それは休憩を挟んだ第4場「吉野信次宅の場」で、
吉野信次宅に、兄の作造以外(作造は執筆のために別の場所で缶詰になっていた)の人間が集まり
寝止まりしている所に、当時流行していた説教強盗(小嶋尚樹、宮地雅子)が入り込む
というエピソードであります。

なぜ自分たちは強盗をしなければならなかったのかをトウトウと話す2人(夫婦)。
最初は強盗に脅えながらもいつか2人に同情し始める信次に細君2人。
バリバリの官僚一庶民にフッと戻ってしまった一瞬を切り取った、
笑いの多い場でありました。
この場はこの場で、まぁ楽しめました。
しかし戯曲全体を眺めた時には、果たして必要な場だったのかの疑問が残ります。

この「説教強盗の場」の前の「東京帝国大学の研究室の場」で
吉野兄弟は思想の違いから決定的な【決裂】をしております。
そして初演の時はこの【決裂】から一気に時代は流れ、
作造が病に倒れた最晩年にやっと細君の引き合わせで信次と再会し【和解】する
「小山屋旅館の場」となっておりました。
確かに時系列からいってもこの第3場と第4場(再演は第5場)は
「時代が離れ過ぎている」という印象は初演鑑賞時も思いました。
しかし【決裂】から【和解】へ、あれだけの時間が必要だったという部分では、
初演時のこの唐突さもある意味納得できることではあります。
それを今回、第4場として「説教強盗の場」というユーモラスな場を入れてしまったことで、
【和解】の重要性が希薄になってしまったと私は思うのです。
何せ前の場で【決裂】した兄弟が次の「説教強盗の場」では寝止まりこそしないものの、
信次宅に作造は間借りしており、しっかり【和解】してしまっている設定なのですから!
これでは次の「小山屋旅館の場」での【和解】の感動も薄くなってしまいます。

確かに実際には「説教強盗の場」の後に時代が時代ですから兄弟は再び【決裂】し、
真に【和解】したのは作造にもう“死”の影が忍び寄るくらいにまでなった
「小山屋旅館の場」までかかったのでしょう。
それでは尚更、戯曲自体は見事なのですから
もう1回、最晩年までかかった兄弟の決定的な【決裂】の場を間に入れて欲しかったし、
そこを私は今回の再演で見たかった。
再演ということで「説教強盗」という時代の雰囲気を表現する場を加えて、
兄弟の関係の「時間の流れの唐突さ」を回避させたのでしょうが、
この唐突さが、初演時には剥き出しなまでにストレートに【和解】が表現され、
そこに私は感動したものですから、
再演では逆に感動が薄れてしまい何とも残念な結果でありました。

しかしそう考えるとこの「兄おとうと」の初演が井上ひさしの遅筆により初日が遅れた、
いわば“やっつけ作業”だったにもかかわらず
いかに戯曲・演出・演技陣が短時間で一丸となって
素晴らしい舞台を作ってしまったということになりますね。
「火事場の馬鹿力」という言葉がある通り、
決して時間をたっぷりかければ何でも良くはなるという事は無いようです。

今回再演を見ても戯曲の“場”は増えても作品の【主題】には揺るぎ無いものを感じましたし、
井上ひさしがこの戯曲を初日が遅れ、やり残した事があったとしても、
資料を徹底的に調べ上げ、考えて考えてこの「兄おとうと」を発表したという事が、
かえって再演を見る事で思い知らされました。
やはり井上戯曲は今後、再演もチェックしていきたいとは思いますが、
何はともあれ【初演】をまず見るという行為は今後も変えられそうにありませんね。

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