私の父は、密葬のあと、大きな葬儀をやっていただいたのですが、
私はそれは父らしく立派で、とても良かったと思いました。
ところが、葬儀の後、自宅にいらした住職が「そうでしょうか?」とおっしゃったのです。
「父上は、あのような葬儀を希望されていたでしょうか?」と。
それは……
もう父はいないのだから、どちらが正解かはわかりません。
もしかしたら、父は住職には「おれの葬儀は簡単にしてくれ~」なんて言っていたのかもしれません。
でも、私は、「そうは言ったかもしれないけれど、本心は違う」と思ってしまうのです。
最近、『エンディングノート』が流行っています。
そこに記されている葬儀が、仮に「家族葬」として、
きちんと家族が話し合うなどして、誰もが納得していればいいのですが、
書いてあったとしても、納得できないということもあるのではないですか?
いつ書いたのか?ということもありますね。
「私のお葬式なんて、誰も呼ばなくていいのよ」
その言葉の裏には、「みんなに来てもらいたい」という思いがあるかもしれない。
そんなことを言い出したら、故人の希望通りの葬儀なんてできないですけど…。
お葬式は、主役がいないんだから、難しいですね。
私はそれは父らしく立派で、とても良かったと思いました。
ところが、葬儀の後、自宅にいらした住職が「そうでしょうか?」とおっしゃったのです。
「父上は、あのような葬儀を希望されていたでしょうか?」と。
それは……
もう父はいないのだから、どちらが正解かはわかりません。
もしかしたら、父は住職には「おれの葬儀は簡単にしてくれ~」なんて言っていたのかもしれません。
でも、私は、「そうは言ったかもしれないけれど、本心は違う」と思ってしまうのです。
最近、『エンディングノート』が流行っています。
そこに記されている葬儀が、仮に「家族葬」として、
きちんと家族が話し合うなどして、誰もが納得していればいいのですが、
書いてあったとしても、納得できないということもあるのではないですか?
いつ書いたのか?ということもありますね。
「私のお葬式なんて、誰も呼ばなくていいのよ」
その言葉の裏には、「みんなに来てもらいたい」という思いがあるかもしれない。
そんなことを言い出したら、故人の希望通りの葬儀なんてできないですけど…。
お葬式は、主役がいないんだから、難しいですね。