人を殺してみたくなる朝に、彼女は僕と出会ったということであった。そういうことならば、殺される勢いで愛されてみたいものだと言う僕を、彼女は殺さんばかりの勢いで愛することにしてくれたようで、そのマグマはまた何らかの欠落から出発しているに違いないのだろうな、と要らぬことを考えたりもした。本当に要らぬことだ。マグマにだって通り道は必要で、それはどんなに小さくても穴を通ってくるのであり、それはいつか彼女の心に開いた穴であるに相違なかった。
 僕は彼女を三日月と名付けた。三日月に穴を開けた者が誰なのか。彼女はずっと密室で育ったそうで、つまりは密室にいる彼女に穴を開けた人物は完全犯罪をやりおおせたのだろう。彼女は誰に開けられた穴か知らないと答え、あなたを愛しているのだからもういいじゃありませんかと言う。そりゃあそうだ。人を殺す勢いで愛してくれているのだから、こちらに文句のあるはずなどありはしない。こちらも愛されるからには、窪みを用意していたことになる。窪みといえば聞こえはいいが、要するにこれも穴で、誰かが僕に穴を開けたことになる。どこの誰かは知らない。なぜなら僕もまた密室で暮らしてきたのだから。
 穴を開けた犯人は、今ごろはどこか遠い街で、僕の欠片を石炭にくべているのか、それとも椅子にでもして、そこに子どもを座らせてビーフストロガノフでも作っているのか。
 そういえば、僕の手にもまたどこの誰とも知れぬ欠片がある。それはきっと誰かを抉ったのであるが、その誰かはきっと今では僕の顔を思い出せないに違いなかった。
 しかしまあ、罪悪感だの慕情だのその混合体だのと、持っていたってどうなるもんでもない。それを穴と呼ぶにせよ、窪みと呼ぶにせよ、人を、あるいは自分を殺してみたくなる朝には、愛を注いだり、注がれたりしてみるに限るのだ。
こんな提案を思いつくのは、すべて彼女が人を殺してみたくなる朝に僕と出会ったからだ。僕は彼女に感謝している。感謝しながら、僕に窪みを作った誰かのことを想っている。顔さえも思い出せないくせに、そいつの作った幸福のビーフストロガノフの匂いが漂ってくる。愛したくなるくらいに殺してみたくなるのも、殺したくなるくらいに愛してみたくなるのも、たぶん言葉にすれば単純なアイタイに代わってしまう。
 この三日月は朝日に薄められ、いつかのどこかの三日月とも区別がつかなくなるので、とどのつまり僕はいまこの三日月を抱けばいいのだ。それで何も問題ない。
「朝ごはんはまだだろう? ビーフストロガノフでも作ろうか」
つくり方も知らないくせに、そんなことを言って僕はベッドから腰を上げる。僕のいた場所にできた窪みを見つめながら、三日月が小さく頷き、いよいよ朝日に溶けて消えた。かくして今日も、新しい一日が始まる。