飼い主を探しています

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黒猫の接吻あるいは最終講義 (ハヤカワ文庫JA)/早川書房

¥756
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飼い主を探しています。
以前飼い主を求めました『黒猫の遊歩あるいは美学講義』の続編
にして初長編にあたる『黒猫の接吻あるいは最終講義』の文庫版
です。
このペットの特徴は、何よりはねっかえりなところでしょうか。
続編にして「最終」の名を使うとは、性格の意地汚さが見えるよ
うですね。しかし、主人公の二人にケチをつけるわけでは
ありません。何より丹地陽子先生のイラストの美麗なることがそ
の上質さを物語っています。もちろん文庫本バージョンの新たな
描き下ろしとなっております。さらに、文庫本では巻末に、
書評家、酒井貞道先生によるきりりと身の引き締まる硬質なる
解説をいただいております。(解説の最後には何やら重要なお知
らせもあるようで)イラストと解説、この二点だけでも
このペットの魅力を語るにはじゅうぶんとは存じますが、せっか
くなのでもう少しだけお付き合いを。

受賞直後は、受賞作が7年前の作品だったこともあって、続編を
書くのが恥ずかしかったのだけれど、今にして思えばこのシリー
ズがあってよかったなと素直に思えるようになりました。
この小説のミステリ面に光を当ててくださった酒井さんには
厚く御礼申し上げます。
この小説の根幹となるアイデアを思いついたのは、じつはこれも
やっぱり古くて、もしかすると「遊歩」よりも古いかもしれない。
フレッド・カサックの『殺人交差点』を読んだ次の日くらいに
劇場を舞台にしたミステリを考案したのが最初で、
でも結局そのときはうまく書ける気がしなくて、形にするのに
これだけの年月がかかってしまった。もしも「遊歩」を
書き上げてすぐにデビューしていたとしても、この「接吻」は書け
なかっただろう。そこには、やっぱり7年という年月が不可欠だった
のだと思う。
あと、男同士のねじれた友情ものとして、
ウィリアム・モール『ハマースミスのうじ虫』を意識したと言ったら
ある人に「冗談でしょ…」と絶句されたけれど、本人はけっこう
真面目に多少の意識をしていたりします。まあ冗談なのかもしれないが。

「最終講義」と付けた理由は、内容をお読みいただければわかる。
でも、個人的にも意味があって、それは、毎回「これが最後」とい
う気持ちで望む、ということである。デビュー第一作に、その気持ち
をきちんと刻んでおきたかった。何しろいい加減な人間なので、
そういう目に見えた道標みたいなものが必要だったのだ。

「遊歩」執筆から七年を経て、黒猫、付き人と再タッグを組んで
みたわけだけれど、特にキャラ面で苦労しないのは、
たぶん僕がキャラを書こうとしているわけじゃなくて、
二人の距離を描くことに常に興味があるからだと思う。
昔から何かにつけ、距離を考えたほうが言葉が浮かぶのだ。

たとえばキーボードとの距離。珈琲カップとの距離。
画面の向こう側のあなたとの距離。
文章を書くとは、とりもなおさず自分と物事との間にある
距離を描くことであるのかもしれない。

そんなわけで、文庫版『黒猫の接吻あるいは最終講義』
どうぞよろしくお願いいたします。
カバーイラストの付き人を見て、まだまだ黒猫に
渡すわけにはいかねえな、と思ったことは内緒です。

ではでは。
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あの日、市場でみんなが君を奪い合っていた
僕はそれを眺めていた
遠い昔に君と魚釣りをしたときのことを考えながら
僕らにとって魚は買うものではなく、
書物は読むものではなく、
唇はまだキスを知らなかった
まだ君は、いまみたいな不安な表情も知らず
満面の笑みでわらい、
川の砂利をはねかして緑色の風景を跳ぶ妖精だった

ああ、奪い合いはいよいよ佳境に入った
きっとしまいには君はバラバラになり
あとには髪の毛一本残らないにちがいないのだ

そのあとで軍鶏が二羽、戦いはじめる
みんなはその余興を楽しんでいて
誰もが自分たちが何を欲しがっていたかも忘れてしまうのだ

そんなことを知りもしないで
君はあの日みずから市場へ行くことを望んだのだ

そんなことを知りもしないで
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名無しの蝶は、まだ酔わない 戸山大学〈スイ研〉の謎と酔理 (単行本)/KADOKAWA/角川書店

¥1,620
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なぜこんなにも時間を置いてから『名無しの蝶は、まだ酔わな
い』のセルフライナーノーツなのか?
そこにはいろんな理由があると言いたいところだけれど、
何の理由もなくて要するに出た当初は、ガタガタ書かなくても
黒猫シリーズの恋愛部分が好きだった読者なら受け止めてもら
える自信があったので、まあべつにあえて説明しなくても、と
いうのがあり、また一方で僕のなかではもっともミステリ色を
抑えたものでもあったので語るより感じてくれ、と、そんな感
じだった。
しかし、発売から五か月が経ち、そろそろ自身の記録として
まとまった文章を書いておかなくてはどういうつもりで書いた
のか忘れてしまうなあというのもあったので、今回書くことに
した。

はじめのうち、学生時代の話を書きたいということを
担当編集Iさんにお話した。彼女はKO大だったので、当時のSK戦
話などで盛り上がったりした後で、
「できれば酔っ払いの出てくる、あんまり謎があって解決みた
いなのがはっきりしていないような話にしたい」というようなこ
とをお話した。
イメージにあったのは、『トレイン・スポッティング』のミステ
リ版、日本版。
冒頭でブラーの音楽が突然使われるのは、そういうわけがある。
名もなき青春を駆け抜ける苦しさ、甘酸っぱさ。
高校時代や中学時代とはまた違う。
大学なんて何の義務でもない。親にわざわざ負担をかけて行かな
くてもやめたきゃやめればいい。そして、周囲は「さあ次はお前
ら就職な」という目に見えない圧力をかけてくる時期。
そういうトンネルのなかにいるような閉塞感と
酔いしれることで壁も天井もないと一瞬感じられる自由さ。
そういったものが大学時代には詰まっている気がしていて、
いまだから自分には書けるのではないかという気がしていた。
これは二十代なら絶対に書けなかった話だ。

①文体的な試みとしては、情緒面を豊かにすること。
②あと、かなり軽めの擬古典もどきにすること。
③読者は放置してでも、酔いの浮遊感を、作者がとにかく楽しむ
こと。

②に関して、たまに森見さんと比較される方がいるのだが、
それは森見さんに申し訳ない。森見さんの擬古典は僕の「ヘタウ
マ」とは違う。はっきりとした意識と自覚をもってやってらっしゃ
るのである。
対する僕の、というか語り手、蝶子の擬古典は、
言ってみれば文系女子学生の「なんちゃって」なノリに過ぎない。
だから「なんちゃって擬古典」。ついでに念のため言っておくと、
僕がこのなんちゃって擬古典を使いこなしたのはもう今から10年
以上昔のそれこそ学生時代の文芸雑誌時代からなので、誰かの本
を読んで真似てとかそういう話ではないんで、そこんところはま
あべつに僕が言わんでもという話だが、察してください。

そもそも、なぜこんな酔っ払いの話を書こうと思ったのかという
話だが、僕は大学時代、昼から酒を浴びるように飲むようなサー
クルに入っていたのです。いや、もともとはそんなつもりはなか
った。伝統あるミステリ研究会に所属して、読書に明け暮れ、と
思っていた。
ところが、まあいろいろあって結局ミス研には一か月しかいなく
て、あとはずーっと飲めや歌えやの酔いどれ青春に突入したわけ
です。
もちろん、そのかたわらで自分で文芸サークルを起こしたり、
並行していろんなサークルに顔出したりとかしてたんですが、
どれもこれも基本はお酒。そして人としゃべるってことに尽きた
のかな。
本はね、もうほとんど読めなかったです。
結局、学生時代の財産は人に尽きる。
読書は部屋で閉じこもっていればいくらでもできる。
だが、人と酔っぱらって、本音で腹の底からぶつかっていけるのは、
高校時代でもなければ、社会人になってからでもない、
本当にこの時期にしかできないことだと思う。
だから、まあ、そういった空気感だけでも伝えられればいいなと思
いながら書いた。

この小説は空気である。あの時代の空気であり
酔いの空気だ。
だからタイトルを決めるとき、手が止まった。
空気には、それこそ、名前などつけようがないからだ。
かなり悩んだ。

じつは10年前に、ある長編を書いており、それが当時の飲みサークル
を舞台にしたもので、タイトルが『名無しの条件』だった。
内容はまるで違う。酔っ払いサークルが、大学側と学園祭の裏で戦う
という話。名無しの蝶を書き上げた頃にはそんなことも忘れていたの
だけれど、いざタイトルを担当編集さんと考え始めたとき、
このタイトルのことが脳裏をよぎった。
そんな折、担当さんが「名無しの蝶は、まだ酔わない」というタイト
ルはどうですかと言ってきた。天啓とはこのこと。
彼女はたいへん優れたコピーライターだと思った。
かくして「名無しの蝶」の5話にわたる一年の旅が一冊にまとまった。

酔いのロジックが日本の四季折々の美しさと絡み合う青春歳時記。
今さらのように、ぜひ今宵、酔いしれていただきたい一冊と
言っておきたい。

以上









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