このお二人のご尽力と地元東松島市、
そして東松島みらい都市機構、
周辺の石巻などなどからの多くの方々の協力で、
宮城県東松島市にステッチガールズのカフェがオープンする、
オープニングイベントが今月末にできることになりました!
ステッチガールズも約60人になりまして、
もう少しでこのお二人とともに私も東松島に参ります。
おそらく日本で初めての、
DMC刺繍フルラインナップの美しい棚に、
カフェが併設された、
日本初の刺繍カフェのオープンです✨
…この夏のことでしたが、
カフェのオープン構想を知る前に、
…つまり遠く東京にいる私には、
東松島に刺繍カフェを作りたいですね…の話が出て以降、
「ミリさん、ついに場所が見つかったんです。」
という報告が東松島のスタッフさんから来る前のことでしたが、
不思議なタイミングで私にメッセージがきました。
(あなたの東京のアトリエを閉めて、そこで使っていたものをこのカフェに寄付するように…)
…今年に入り、
私のプライベートにおける変化があり、
今しかできないことをしないと後悔する…と。
1999年よりこれまで続けてきたアトリエミリミリを解散し、
これからは自宅サロネーゼとして生きていくことにしました。
決心したのは8月のことです。
なんていうか…
たぶんホントに幸せを実感できるようになったのだと思います。
外にアトリエを持ち外で働くことを選ぶのではなく、
大切な人達の、より近くにいて働くことを選ぼうと。
え、自宅を公開しちゃっていいんですか。
ということより、
もっと大切な人達の近くにいたい。
1999年から長くアトリエをやってきて出した結論でした。
ただでさえトロールビーズで全国に…。
だからこそ。
瞬間風速25メートル級のソッコーお掃除も得意ですしそんなことは気にしない、気にしない。
ただ、
今までいらしてくださっていた紅茶の生徒さん達や、
このアトリエを使ってくださっていたスチュワード麻子さん達、
なにより紅茶の先生方には大変申し訳ないと思いましたがこの代々木上原のアトリエミリミリを閉めさせていただくことにしました。
そして多くの皆様のご理解とご協力を得て、
この家具やら照明器具、
湯沸かしポットなど、
紅茶用品や食器達は、
東松島にお嫁入りすることになりました。
いま、静かにパッキングの時を待っています。
娘も含めてパッキング隊が来てくれます。
カフェで使う家具、食器を支援物資として配送するトラックも、
これまで10トンの物資を町田をはじめとする東京からボランティアで運搬してきたチーム。
ほんとに不思議だった。
自分の決心と、
東松島のカフェのオープンの知らせが重なったことは、
わずか2時間の時間差。
8月某日…
「んー。ごめんなさい、みんな。たくさん話し合ったけどアトリエミリミリ解散の決定とするね。」
そう言ってスタッフに理解をもらった2時間後に、
「ミリさん、東松島の刺繍カフェ、場所が決まったんです!」
のお知らせ。
ホントは、
この大切にしてきた家具や食器たち。
1999年の最初のアトリエから使っているものたち、
紅茶屋さん時代の品物、
紅茶教室の用品たち…
どうしよう…。
と、内心すごく、怖かった。
けれど、
その決定から2時間後に東松島のスタッフさんの…。
「カフェの場所、決まったんです!」
で、私。
「オッケー、わかった!
じゃ私の使ってきた家具も照明器具も、食器やカトラリー、掃除機もサランラップもゴミ袋も、洗剤もなにもかも使いかけだけど全部寄付する!」
「わ、わ。ホントですか?
じゃ、ホントにデンマークカフェになるじゃないですか!」
とその場に居合わせた、
ステッチガールズの最初のきっかけを作ってくれた電通東日本の社員さん。
そもそも東松島に、
震災後3ヶ月という、まだまだ甚大な被害のあった時期にデンマーク皇太子様が世界一早く王族としてのご訪問をくださったことからの、
東松島とデンマークの繋がり。
あぁ、良かった。
なんか。
モノゴトって全部繋がっている。
意識を超えたデジャブが、
誰もが言い出す前に起きていたみたい。
…今回の決心は、とても苦しかったけれど、
着物の着付けの先生も新しいことスタートすることになり、
和菓子は我が家で継続。
書のクラスは先生のアトリエに、
そして紅茶教室と刺繍のワンデーのみは原宿の洋館
で…。
密かに感動しています。