悼みを悼むということ~『「死」の教科書』をめぐる朗読とトーク~ | 独り言集

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大半が観劇記です。
内容はネタバレ気にしてませんので注意して下さい。趣くままです。
その他についても趣くままです。

原本    『「死」の教科書』(産経新聞大阪社会部著・扶桑社)

第1部 (朗読)第2章「喪の作業 -JR事故の遺族たち」より
演出  戒田竜治
出演  河上由佳、西原希蓉美、美香本響、栃村結貴子

第2部 (朗読)第3章「償い -JR事故から二年」より
演出  泉寛介
出演  一瀬尚代、辻るりこ、松本絵理、徳永健治

第3部 トークセッション
    山口洋典(浄土宗應典院主幹)、戒田竜治(満月動物園)、
    泉寛介(baghdadcafe')
    (途中から)一瀬尚代、西原希蓉美

シアトリカル應典院 24日12:00開演(?) 自由席。

朗読劇・トーク
悼みを悼むということ~『「死」の教科書』をめぐる朗読とトーク~

突然奪われた命への「悼み」は関係・時間によって濃淡が出ます。
2005年のJR福知山線脱線事故の
「悼み」を収録した『「死」の教科書』は、
2007年に刊行されました。

今回は同書の朗読を通じて当時の悼みを改めて「悼む」試みです。
(シアトリカル應典院HPより)






昨年に続いて参加。

JR福知山線脱線事故。
昨年、事故現場の保存、慰霊碑についての記事を読んだ。
凄い違和感・・・・というか嫌悪感に近いものを感じた。
慰霊碑は分からなくもないが、現場保存はなんぞ?
という想い。
現場保存して、それがいったい何になるのだろうか?
その辺りの遺族の想いを知ることが出来るかと思い、参加した。

朗読ではその辺りには触れていなかったが、
この事故を通して私が抱いた想いは強くなった。

やはりどこか私たちは狂ってきている、と。

まぁ、「狂う」という表現は適切ではなかろう。

この事故だけでなく、様々な事に対しても抱くことだが、
私たちは社会の変化に着いていけていないのだ。
特に内面、精神面が。

悼み、悼むとは何か。
償い、償うとは何か。
癒し、癒すとは何か。

現場保存がこの3つを成すことになるのだろうか?

トークセッションで、ある参加者が
仏教の教えに触れた感想を述べられていたが、
その通りだなと思う。

宗教離れも一因なのだろう。
昨今のテロやオウム真理教の事件が、
「宗教って胡散臭い」と思わせているのだろうか。
宗教とはそもそも、人々の心の安寧を願う気持ちから
起こったものだと思うが。

なのに、そこにおいても私たちは内面、精神面を置き去りにし、
外面、物質面での追求に走っている。

ここを糺したい。