脚本 minami
芝居演出 minami
総合演出 桜井良
ダンス監督 ADACHI
ダンス振付 YUCCO・NAOKI
アクター 山本崇弘(四宮賢吾役)、澤田和(稜子役)、
奥MARTU(晴人役)、犀川哲平(高本一英役)、
中川律(四宮賢一郎役、大人の四宮賢吾役)、
小川惇貴(木瀬順造役)、内藤達也(山辺但役)、
岡真紀(高本博美役)、山根楓摩(子役[四役])、
以倉里江子(女役)、真鍋雄介(SP役)
ダンサー Tengu、アミーゴ、以倉里江子、えつこ、大野郁香、
kana、児島摩弥、高橋未希子、のー、福井茜、藤本和世、
mako、真鍋雄介、元山志絵里、Ria☆、RUMY
オーケストラ 桜井良(指揮)、功刀丈弘(バイオリン)、田村晃司(バイオリン)、
宇留嶋瑞穂(バイオリン)、武藤礼(バイオリン)、
新熊哲(ヴィオラ)、満多野穂高(ヴィオラ)、藤原克匡(チェロ)、
中嶋寄恵(チェロ)、梶山伊織(コントラバス)、
高山あゆみ(フルート)、中村希(オーボエ)、
大角奈央美(ホルン)、坂東裕香(ホルン)、西尾有加(ソプラノ)、
高橋梨沙(パーカッション)、林寛(和太鼓)
大丸心斎橋劇場 3日14:00開演 自由席(5列目で観劇?)。
あらすじ
2021年4月1日、日本から名字が消えた。
当時は、最年少で就任した総理大臣の偉業だと評され、
暫くは犯罪が減少し、地域コミュニティが各地に築かれ、
日本は誰もが安心して暮らせる世界一安全な国になった。
しかし、一度は落ち込んでいた犯罪率が少しずつ、
しかし確かに増加していく。
気が付けば日本は今まで感じたことの無い恐怖と
隣り合わせで生活をしなければならない国へと変わっていった。
その十年後。
天狗と名乗る集団が暗躍を始め、
犯罪のない平和な国を取り戻そうと、政治家を攻撃し始める。
次第にエスカレートしていく犯行と要求。
天狗の正体を突き止めようとする総理大臣の息子と子供たち。
名字を捨てる事を頑なに拒む表札職人。
事件を裏で操る人物。
名字のある者とない者の格差問題、
独裁政治の虚しさ、犯罪増加が呼び起こす環境破壊。
個人の尊厳と人と人とのきずなを強く問いかける、一大スペクタクル作品。
(dysmic Entertainment HPより)
dysmic Entertainment、「天狗」。
岡真紀さん出演ってことでチョイス。
チラシに、「あの日、日本から名字が消えた。」。
ここから、どんな話を見せてくれるんだろうと言うワクワク感からも
観てみたい、と。
で、HPを見ると、
『まるで映画を生で観ているかのような大迫力の舞台作品』、とある。
まさにその通りだという印象でした。
が、HPのコンセプトにある、
----ここから----
アイデンティティ(=自己同一性)の喪失は特別な問題ではない。
いつ自分にどのように降りかかるかわからない。
もし降りかかれば、生きる意義さえ見失い兼ねない。
そんなふうに、いつもアイデンティティの喪失に
苦しめられている人がいること・・・。
それが少しでも多くの人に知られる事を願い、
私たちディズミックエンターテイメントは「名字が無くなる」という問題で、
アイデンティティ喪失の危機感を
広く人々に投げかけるための作品を発表します。
人種差別や性別差別などの様々な差別や偏見、
ネットワーク社会に蔓延する顔の見えない誹謗中傷などが
アイデンティティ喪失の根源にあることを、
この作品で顧客一人一人に意識づけることができれば、
さらにはその人たちと繋がるたくさんの人々に
それが伝わりそんな不思議だけど僅かな力を私たちは信じています。
人とのきずなが薄れている現代において、
他人の問題が他人事ではないということを知ること。
それが、明日からの和平の道に繋がるきっかけになる。
この作品はそのための出会いです。
----ここまで----
が、どこまでお客さんに受け取ってもらえたのだろうか。
確かに、上に載せたコンセプトのように、
しっかりと言葉に、文章にするのは無理だとしても、
これを読んで、「そうそう、こういうことをこの作品は言っていたんだ。」
と、答えられる人がどれだけいるんだろうか。
「なんとなく・・・・こういうことかな?」が多くを占めるんじゃないだろうか。
辛口なんだけど、個人的には、
『映画を生で観ているような』が裏目に出てしまった感がある。
というのも、シーンとシーンとの間(場面転換って言うのかな)が
空き過ぎてしまって、かな。
この作品を映像作品として観ていれば、当然この「間」はない訳で。
残念だけど、気持ちが途切れ途切れになってしまった訳で。(>_<)
とは言え、休憩をはさんで2時間半という上演時間だったけど、
お尻の痛さを感じなかった点は褒めたい。
(また上から目線?)
で、終始辛口になるんだけど、
(ホンマにすいません)
セリフは地声でなくマイクで拾っていた。
このマイクの感度なのか調整具合なのかはわからないが、
これも気持ちがそがれる要因となった。
胸元に付けるタイプではなくて、
ミュージカル作品ではおなじみの頬のところに付けるタイプだと
また違ったのかもしれない。
また・・・・上手く言えないけど四宮賢吾の見せ方と言うのかな?
高校生の四宮賢吾役を山本崇弘さんがやっていて、
総理大臣となった四宮賢吾役を中川律さんがやられている。
が、中川律さんは四宮賢吾の父親の四宮賢一郎役もやっている。
で、途中で四宮賢一郎から四宮賢吾にスイッチする訳だが、
ここが観ていて判りづらかった・・・・。
『えっ、いつ変わったの?』となってしまい、少々混乱。
そりゃぁ、親子なんだし、子どもが成長して
成人、青年、壮年ともなれば親に似てくるだろうから
同じ役者さんが壮年期の四宮賢吾をやってもおかしくもない。
が、そうするのであればスイッチしたところは
しっかりと分かる様にしないと。
また・・・・これはオーケストラに関してだが、
お一人、帽子を被っていましたよね。
その方、長髪なので
演奏の邪魔にならないようにってことだと思うんですが・・・・。
別に被るなとは言わないのですが、
被るのならデザインと言うか、
カラーは作品に合うものに出来なかったのだろうか。
私の席からはどうしても、
その方がちょんまげのカツラを被っているように見えて・・・・。(>_<)
(正確には時代劇で良く見るちょんまげの頭頂部に載せている部分のない形)
また・・・・ダンスシーン。
芝居のシーンがほとんど部屋(執務室)の中なので、
セット(机やソファー)がそのままの状態。
その状態でのダンス。
それを見越しての振付にはなっているんだけど・・・・。
レース地の幕を使っての視覚効果っていうのかな?
そういうこともしてあるんですが・・・・ダンスのし辛さは否めない。
これだったら、客席を1列つぶすことになるんだけど、
ステージを張り出したほうがダンスが映えて見えたんだろう。
・・・・久しぶりに辛口過ぎますね。(^_^;)
(ホンマに久しぶりにか?)
あっ、もう1つ。
綾子のあれからはどうなったんだろうか。
名字を持たない者が首相官邸に。
四宮賢一郎に見つかって、
「今回は大目にみてやるが、もう2度と来るな!」と。
で、それから出番がなく終演までいった気がしますが、
晴人が成人して国会議員になったのを見せるのであれば、
綾子の「今」も見せて欲しかったです。
優柔不断だった四宮賢吾がしっかりと前を見て、
自身の進む道を志すようになったきっかけを与えたのが綾子、では?
そんな綾子の扱いがラストのほうウヤムヤなのは・・・・。
あっ、最後に。
(まだあるんかっ!)
最後はしっかりと拍手を送りたかったですね。
映像的につくってあるので、ああいうラストになるんでしょうが、
「生」で見せている訳だから、
「生」の出演者の方々に伝えたかったですね、こちらの気持ちを。
まぁ、実際には拍手は起こったんですけど、
私の中ではあの後でステージ上に皆さんが出てくるもんだとばかり。
なので、・・・・拍手を送れないまま・・・・。(>_<)
まぁ、こんな内容になってしまいましたが、あくまで個人的な印象ですので。
個人的にはコンセプトにあることは受け取れてますし、
それがあるから、お尻は痛くならなかった訳で。
欲を言えば、もっとガツンと言う感じに受け取りたかったと言うことですね。
さて、最後。
お目当ての岡真紀さん。
1幕は2シーンのみの出番。
最初は舞台前方でのシーン。
久しぶりの「女優」岡真紀やぁ~、なんて。(^_^;)
2つ目のシーンは上手奥。
・・・・レース地の幕が邪魔・・・・。(T_T)
2幕では執務室で首相と会うシーン、パーティー会場のシーン、
ラストの高本親子そろい踏みのシーン。
(漏れはないかな?)
こう書くと少ないように感じるなぁ。
けど、パーティー会場のシーンが長かったので良しですね。
ただ、このシーンの時に前の席の方がうつらうつらだったのかな?
(寝落ちってこと)
右へ左へ動いてて、岡真紀さんが見えたり消えたり・・・・。
あぅ・・・・。(T_T)
とは言え、・・・・確か1年ぶりくらいかな?
今年1年、ってまだ終わってないけど、岡真紀さん自身
舞台出演が多くて、収穫も多かったと思います。
その収穫の成果にホクホク顔出来たので良かったです。(^O^)
次回は、「カノアティックブルー」なのかな?
(来月の中旬)
同姓同名の別人でなければ、
多分こちらは今回以上に拝見できると思うので、楽しみです。(^O^)
久しぶりに長々と書いたんじゃないのか、この記事?(^_^;)
(辛口なことばかりだけど)