作・演出 林慎一郎
振付 原和代
出演 あらいらあ、井尻智絵(水の会)、小笠原聡、門田草(Fellow House)、
後藤七重、猿渡美穂、中元志保、ののあざみ
AI HALL 13日18:00開演 自由席(2列目で観劇)。
アフタートーク 岩崎正裕(劇団太陽族)、林慎一郎
あらすじ
地下鉄を巡る七日間。
満員電車に揺られる乗客達の姿が、ダンスとモノローグで点描される。
歴史の積み重なりが創りだした地面の下に深く潜り、
景色の見えない車窓と膨大な広告に囲まれながら、
ただただ目的地を目指す人々の噂やため息が、
トンネルにコダマし絡み合う。
それは次第に、
都市に暮らす故郷喪失者たちの姿を可笑しくも鋭く浮き彫りにしていく。
そして、神が地球を創ったといわれる七日が過ぎたとき、
サブウェイは、また新たな月曜日を走り出す。
都市固有の交通機関である地下鉄に注目し、
目的地への輸送のみに特化した
広告まみれの車両に揺られる都市生活者の姿を点描した。
(真夏の極東フェスティバル HPより)
特別コメント(も引用)(^_^;)
北村想~「サブウェイ」によせて
「動く」ということは、「演技において、ナンの意味もナイ」。
あるのは動きによって生ずる「作用」だ。
今回の林作品『サブウェイ』では舞踏がつかわれる。
舞踏による「動き」は、演劇よりも抽象的になる。
つまり、その「作用」は観客のイメ-ジに想像力もしくは
メタファ-を強く与えるということになる。
舞踏が演劇より現実離れしているのは、そのためだ。
ところが、必ずしも現実的なもの(real)が抽象的なものよりも、
現実性(reality)があるかというと、そうでもナイのだ。
ここに、人間の心的な対象識知のオモシロさがある。
つまり、私たちは如何なる対象を認識するときも、
その対象に少なからず自身の心象イメ-ジを含めているのだ。
100人の観客がいて100人によくワカル演劇があっても悪くはナイが、
私は、演劇というものは、100人の観客がいれば5人くらいがオモシロがれば、
それでいいとさえ考えている。
余談になるが、
「私の漫画は100人のうち、一人にしかわかりませんよ」といったのは、
手塚治虫さんだ。
玉山悟(王子小劇場代表/芸術監督)
「サブウェイ」の大阪での初演を観て以降、
しつこくしつこく「サブウェイを王子で再演してもらえないか?」と
お願いしてきたのがやっと実現することになりました。
2011上演verのために微調整はあるでしょうが、
あの個性ある人物たちが、
あのラストシーンがまたみられるかと思うと
今から公演が楽しみで仕方がありません。
『乞局とシベリア少女鉄道を足して、2で割らない』それが「サブウェイ」です。
ぜひ劇場におこしください。
観たわたしがいってるんだから間違いありません。
真夏の極東フェスティバル、「サブウェイ」。
(後日追記)