【ベーシストのレイ・ブラウンとペデルセン】 | 横沢洋!おそうじ片付け長野県松本市より

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はじめまして
おそうじ片付け隊ホームサービス松本店の横沢洋と申します。
長野県松本市でハウスクリーニング・片付け・リフォーム業をしております。
趣味はJAZZ音楽鑑賞です。以後、宜しくお願い致します!!


【ベーシストのレイ・ブラウンとペデルセン】

私の一週間の楽しみは
毎土曜・夜11時からの2時間の
NHK-FMでのJAZZ放送を録ること
(車で聴くんで今もカセット録り)


今宵は「O・ピーターソン特集」
これを聴きながら・・、
今夜のブログはピーターソン時代の
2人のベーシストが主役です。



共に、O・ピーターソン・トリオに
在籍した経歴の持ち主。

レイ・ブラウンと
ニールス・ペデルセンです。



レイ・ブラウン
(1926年~2002年)
人呼んで、歩くベースの教科書。
”ジャズベースの正統派”の巨人。
特に、2ビートのフレーズは神業!


ベースの音だからという訳ではなく
レイの紡ぎ出すサウンドは
とりわけ重心が低い感じで
安定していて落ち着く。

レイがピーターソンの元を去る時
ピーターソンは、
それはそれは、泣きに泣いたという




もう一人は、ニールス・ペデルセン
(1946年デンマーク生まれ~2005年死去。
享年58。

3フィンガーの速弾き
クラシックの様なメロディ感。

ベースをギターの様に
早引きする演奏はミスなし!



聴きこむと
逆に、それが鼻につくことも!

だから、心に残るプレイはといえば、
何故かスローなバラード曲です?



最期の日本来日公演は、
脳梗塞で来日を躊躇していた
ピーターソンに

「俺がピアノまで連れて行くから
一緒に日本に行こうや!」と
ピーターの背中を押してくれたが
ペデルセンだった。

しかし、帰国後、
先にこの世を去ったのは
若きペデルセンの方だった。



3人とも今は
鬼籍に入ってしまったが

幸せな事に、今、私は、
fmで50年前のTOKYO-LIVEを
聴きながら、

You Tubeでピーターソンの
ツインのベースをこうして、

共に、読者に、
観て、そして聴いてもらえる!


週末のJAZZ!
音楽! 
ビデオ!
そして読者のあなたと


共有できる、
「今!」に感謝です!


【oscar peterson - ray brown - niels henning o pedersen】