美空、旅たちの朝
今日18歳になった長女を送り出します。
家族もドラマスティックな関係にあって、その中でも矢面に立って途中で母親がスイッチした後も頑張ってくれた長女美空。
それは、うちのグループの旗艦ブランドであるMiku(美空)のような存在でもありました。(言い過ぎか、、、、w)
週末には思い出のコースを久しぶりに家族全員でハイキングし、、、、
今日、僕の人生で初めて子を送り出すという気持ちを体感します。
まあ、いつもと変わらない朝でしたが💦
寂しいという気持ちはないけど、「大変になるなー。」という恐れは妻と共感しました。
どちらかというとそんな妻の方が感慨深いようです。。
「私のお母さんは今のお母さん」と、言わせる人間関係を作ってきましたからね。。。
今日はこれから空港まで見送り行きます。
さて、この大事なタイミングを迎えて、会社の中(組織)も創造的破壊のタイミングに入ります。
一度ブレイクアウトからマネジメントというステップを日本で経験し、そこから学んだことがたくさんありましたからね。
今度は、グローバルマーケットにてその経験から育まれた形式知を持ってその先のブランド創造をグローバル市場で成し遂げたいと考えています。
理想と現実
「稼ぎを作らない社員がいてもいいじゃないか。」
「会社は利益が全てではないんだよ。」
日本のドラマ見ているとこうした言葉がタイミングよく使われ、視聴者の職業倫理を触発します。当然僕もこうしたシーンに視聴者として気分を良くし、人としてこうありたいものだとは理想は描くのですが、、、、、
現実はそんなに甘くなくて、一般的にそれを実現し実際に手本企業のようになっている会社においても、それを実現できるだけの経営基盤を底辺で持っているというのが本質であると考えます。
ここでいう経営基盤というと、
例えば、
圧倒的な利益率を実現する特別な仕組みを持っていたり、
圧倒的シャア率を誇るブランドであったり、
古くからの老舗企業で大きく展開してないので無借金だったりします。
故にその余剰資金をそうしたESに向けて評価されるのですが、
ベンチャーにおいて、チャンレンジしている成長企業はそんな綺麗事だけでは成り立ちません。
僕の仕事は外食産業であり人を多く雇用する上に、他の多くの産業に比べて生産性の低い産業です。事業規模の拡大は、ダイレクトに組織の拡大を意味します。組織が拡大するということはそこには組織をコントロールするための潤滑油が必要になってくるわけで、それが評価であるとかキャリアップであったり、モチベーションアップだったりするわけです。
企業は様々な方法でその潤滑油を用意し、会社の発展とともに臨むのですがそれが最も難しくて、その難しさは会社を伸ばそうとすればするほど難易度を上げていくものです。
それは、「公平さを保ったまま組織を作っていくことが難しいからです」
ここでいう公平さというのは、
「能力の高い人が組織のリーダーに立つ」
ということで、その能力というのも会社の規模の発展によって変わります。
例えば、1店舗のオペレーションに強いリーダーと10店舗のオペレーションに強いリーダーの資質は異なるものです。
なのに、成長段階で社歴が長い人や、なんとなく安心できて頼り甲斐のある人を抜擢するとそのままトップマネジメントに置こうとします。
それが大きな間違いを誘発します。
成長していく上では、投資に対して損益分岐点を超える売上を作るブレイクアウトは最低限必須ですし、そこからはCSを実現しながらブランディングを進めていく中で利益体質を強くしていくことができないとESを実現することは物理的に叶いません。
また同時に企業価値を高めていくことは成長の証となります。
投資をして会社を成長させている以上は、その実現のために、経営幹部と言われるトップチームはその能力によって組織が形成されない限り皆無なのです。
だから上記したような倫理観ばかりを求める経営幹部は、成長企業においては無力であると考えています。
現場においてはそうした環境を作って、稼ぎを作り出すことだけがいい社員ではないという論理も当てはまるようでないといけないとは考えますが、
経営幹部において稼ぎ(その原資)を作れない、作れる専門能力と経験値、マネジメントスキルを要しないとなると組織の公平さは崩壊します。
現場がそうあるためにも、現場をリードする幹部というのはそうないといけないのです。
この業界はスキルを伴うことなくSVに昇進させたり、経営幹部に昇進させることを印象や根拠の伴わない期待感で実行します。
以前の僕もそうでした。
その失敗から確信していることがあります。
十分な能力を有することなくタイトルアップした仕事のできない上司は現象面を指摘するだけでソリューションを指南できない。
数値や現場を見て改善点や進歩させるべきポイントを指南し現場で改善する方法を指導できない。
その結果、現場からの不信感は募り、本部からは叱責され、本人は自分の地位を守るために努力するのではなく倫理観を問うことで自分の身を守ろうとする。
そうしてやり過ごすのですが、会社が成長していくと絆創膏で隠してきたその傷口は大きくなり、本人にとっても会社にとっても悪影響を及ぼすことになります。
結局、「できる人間を抜擢するか?」
「指名したら徹底的にリーダーシップスキル(マネジメントスキル)を上げさせて結果を出させて自信を持たせる。」
しかできないのです。
もちろん成長させることだけが正解というわけでわけではなく、守成に臨むのであれば組織全体で上記したような会社を目指すのもありであると考えています。ただし、成長させるのであれば、本質的に稼ぎを生まない経営幹部はNGであると僕は確信しています。
結局のところ、「どちらを選ぶか?」であり、そこに是非はないんですけどね。。
拡大を目指すのであればという話です。
僕は壮大な成長を画策しているので、それなりの能力とポテンシャルを有してないとヘッドオフィスにはあげないし、その代わり現場のスタッフにはない自由な裁量(タイトルに付随しますが)と、報酬、それから投資を実行します。
だからこそ会社は成長し、現場においてはCSもESも叶えられるものです。
現場では輝いていたのに、経営管理職に上げた途端輝きを失う人いうのをたくさん見てきました。その反面、マネジメントスキルを伴いその実務に携わり、現場以上に輝く経営幹部も多くいます。
その違いは、「マネジメントスキル」にあります。
結局、自信を持って仕事できること、現場の時には経験することがなかった様々なプレッシャーを根拠の伴った自信(マネジメントスキル)で臨むことができるからです。
そのタイトルアッップの判断を感情で誤ることは、組織形成において最大の不道理であると考えています。
そしてそのマネジメントストラクチャーも、アウトプットのやり方も高いレベルでうちは有しています。
あとは、実行するだけなのですが、それだけは当事者の意志に委ねられるもので変わってやってあげることはできません。
昨日はここから3年後の組織の姿を想定させながら、この件について厳しく言及しました。今現状を維持することに止まるのであれば問題ないチームなのですが、これからこのチャレンジを実行していくには大リーグと草野球ぐらいステージが違います。
幸い、カナディアンチームもその信頼関係はできているようで、前向きに受け止めました。そうしてトップマネジメントが成長して、現場のスタッフのメンターや憧れになることがそ組織を発展性を伴って強くする要因であると僕は考えています。
ドラゴンボールの孫悟空のように進化するのです!
ただ、進化したいかどうか?
そこにチャレンジしたいかは、当人の人生観によるもので強制するものではありません。
マネジメントが面白くなってくることでその機会を得ることに楽しみを感じるか?結果を求められることにやりがいを感じるか?
または現場にいることの喜びを感じるか?
それは天秤にかけるものでもないですしね。