離婚のご報告と感想文 | 即興ドール

離婚のご報告と感想文

【ご報告】

本日2016年12月20日
わたし住吉美紅は、
旦那さんの辻さんと
離婚届けを提出いたしました。
驚かせてしまい申し訳ありません。
互いの人生を見守り合いながら、良き親友、
作品づくりのパートナーとして歩んで行こうと決めました。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
 
本当に本当に、驚かせてしまったり
残念な気持ちにしてしまった方には申し訳ありません。

すべてをわたしの心そのままにお伝えすることは
きっとできないのですが、すこし長くお話しさせてください。
 
すべてを書くことができないのなら
書かないほうがいいのかもしれないと悩みました。
書けることは書くというスタンスが誠実なのでは、とも悩みました。
だらだら書くのはカッコ悪いな、とも思いました。
正直に書くのがわたしらしいな、とも思いました。
今も何が正解なのかわからないし
傷つくようなコメントをもらうのはやっぱり怖いです。
何を書いても書かなくても、悪く言う人は言うし
何を言っても語らなくても、味方をしてくれる人たちは寄り添ってくれて。

きっとこれはただの「感想文」です。
主義主張でもなければ批判でもなく
エンタメでもなく説明ですらないのかもしれません。
 
【どうして離婚するのか】

一言でいうと「大切な存在だけれど、夫婦になれなかった」
ということなんだと思います。
具体的に言うと、わたしとつじさんは2人とも仕事と作品がだいすき。
休日でも旅行先でもついつい作品のことを話し合ってしまいます。
それはとても楽しく幸せな時間です。
けれど「こんなの夫婦らしくない」という焦りがすこしずつ募って
「自分の人生のパートナーはこの人でいいのだろうか」とお互いに考えるようになり
「名実ともに仕事のパートナーになろう。
夫婦になる人はきっと他にいる」と合意しました

信じられない理由だと言われます。
すごくすごく仲が良いのに
けれど、ちがうと感じたのです。
そして、このまま夫婦でいたらお互いのことを苦しめ続けて
いつか嫌いになってしまうかもしれないと思いました。
自分たちでも変だと思いました。
それでも自分の人生は一度だから仕方ないと思いました。
恋人としては春に別れることにしましたが、
「せっかくだから誰よりも楽しく変で面白い離婚にしよう、
だってわたしたちは、面白がってもらうのがすきだから」と、
結婚記念日の12/20に離婚届を出すことに決め、
ゆっくり離婚することにしました。
 

【離婚を決めてわかったこと】

問題提起はわたしのほうがずっとして来たのですが
「じゃあ離婚しよう」というのは辻さんの提案で、
とても納得できる部分もあり
その後の人生にもわくわくしたのに、
謎の抵抗感が心を襲う時期が2ヶ月くらいありました。
それは「自分が人生の失敗者だ」という気持ちです。
「離婚はネガティヴなこと」という理屈で説明できない
「感覚」「価値観」
「わたしが駄目な人間だから結婚に失敗したのだ、死んだほうがいい」
という自分の中の自分に責められ続け
「『離婚した人』になりたくないから離婚できない」と言いだした時期すらありました。
自分の中にこんな「偏見」や
「(わたしの培った)常識へ固執」があるとは知りませんでした。
そして、自分がそこから抜け出すというのは
人生においてとても尊い経験だったと感じます。
 
別れて、離れて暮らしてみてから、
「別れて正解だった」と発見したこともたくさんあります。

例えば結婚してからわたしは料理というものを一切しておらず、
それはわたしの中で大きな罪悪感でした。
しかし現在は頻繁に料理をしており、わりと好きだったのだと気付きます。

結婚中に料理ができなかった理由が
辻さんが「美味しい」とか「ありがとう」を言わない、
むしろ作るたびに「外食してきたから…少しなら食べるけど…」
と少し迷惑がるタイプの人だったからなのだなとわかりました。
長年培われた「料理を作ると迷惑がられて傷つく」という感覚で
いつしか料理が嫌になっていたのだなと。

ちなみに、これは辻さんが悪いわけではなくて、
相性の問題なのだと思います。
わたしは笑顔で美味しいって言ってくれる人がいいし、
辻さんには其れ位で傷つかない人が合ってたんです。
恐ろしいのはそれをわたしが長年「合わない」ではなく
「自分が料理をさぼる駄目な人間」と完全に思い込んでいたことです。
別れて気づくそういうちいさなものがたくさんありました。

12年間も一緒にいて「当たり前」となっていたものが、
いざ離れてみると歪なことも随分多かったようです。

結婚しなければわからなかったことで
離婚しなければわからなかったことです。
ぜんぶ経験できて本当に良かった、しあわせだっておもいます。
 
【周囲の反応】

離婚を決めてまず苦しかったのは、
祝ってくれた方々への裏切り感でした。
怒らせたり傷つけたりするかもしれない
「ご祝儀返せ」って思われてもおかしくない、と本気で思いました。

式の出席者のひとだけでなく、すべてのひとにとても申し訳なかったです。
 
Platformのみんなからの理解はとても心強いものでした。

特にえこはわたしが上記の「自分の常識」にとらわれて
「やっぱり離婚やめたい」と言いだした時に、
世間ではなく自分の感性を大切に、離婚を完遂するように励ましてくれたし

ののかは知人にもそういうポジティブな離婚をした夫婦がいると教えてくれたし

あと誰よりもわたしと辻との付き合いの長いHTBがとてもやさしく励ましてくれました。

「正義のみかた。」明石公演の時が、ちょうど別れた直後で、
芝居をしている時間以外は心が自己否定でいっぱいになってしまって、
でも遠征中明るくしていなくてはと無理をし続けていたのだけど、
らいふがきちんと全員で話す場を作ろうと提案してくれて、
プレイヤーのみんなが話をする時間を持ってくれました。
その時にわたしは離婚の話が持ち上がってから初めて泣くことができました。
話した、というか「わたしはダメじゃない」と何回も言っていました。
ずっと自分の中の自分が「お前はダメだ」って言ってた時期だったけど、
初めてそれに反論できたしみんなが味方になってくれました。
そのあと迎えた正義のみかた。本番は、
信頼感とグッドサプライズに溢れるすごく良い回になりました。

Platformには、わたしもつじも所属し続けることになります。
が、以前と変わらず楽しくやってます。

変わったことといえば
「つじさんはなんでもできるなあ」
というお馴染みのやり取りに
「わたしを幸せにすることはできなかったけどね」
というブラックジョークが挟まったりして
それを言える自分も爆笑してくれるみんなもすごくすき。
隠さない、でも特別扱いもしない、普通の日常。
結婚を祝ってくれた方々、本公演の共演者のみんなにも、
お会いできたタイミングでなるべくお話ししてきましたが、
いろんな人の集まる業界柄もあってか、みなさん広い心でご理解くださり、
最も信頼するわたしのたいせつな先生は「おめでとう」と言ってくれて、
心の底から嬉しかったです。
 
そうはいかない人もいました。

「なぜ結婚前に合わないことに気付かなかったのか」
「離婚するつもりで結婚したのか」
と責められたり
「そんなのは離婚の理由にならない」と決断を否定されたり。

わたしたちが明るく前向きだからこそ
ふざけているのかとか、不謹慎だとか
許せないという感情をぶつけるひともいました。

「金銭的に苦労するから不幸になるに決まってるよ」
だの
わかっていて覚悟した未来を否定され不安をあおられたり

「離婚した人間は周りに迷惑をかけたからもう次の恋愛をする資格はない」
と、
わたしがやっと乗り越えたとらわれをぶつけられたり

また「どうせどちらかの不倫なのでは」とか、
どうにかして「一般論として納得できる離婚のかたち」
に当てはめようとする人もいました。
 
確かに、こんな理由で離婚するのはおかしいのかもしれません。
これくらいの違和感があっても我慢して努力して夫婦を続ける人のほうが
多いだろうと思います。
一般的がなんなのかわからないけれど、
幸せな夫婦に分類されるほうだとも自覚があります。

ですが、さらに幸せを目指すために離婚をすることにしました。
離婚をしたらみんな不幸にならなきゃいけないの?
離婚したら、仲が悪くならなきゃいけないの?
離婚は人生における失敗?
わたしも最初はそう思っていました。
だから、言いたくなる気持ちもわかる。
けれどだからこそ、そういう事を押し付けてくる人たちとは
この機会に距離を置くことにしました。
その人たちは甘えててワガママに写るのかもしれないけれど、
もう、いいかなと思いました。
 
逆に自分にとってたいせつなひとが
これでもかというくらいに
わかった一年でもありました。

一番大きかったのは、辻さんのご両親です。
12年間お世話になって、
2年間同居させてもらって、
自分の親以上に近く、大好きだった。
辻さんとは別れるけれど、
お義父さんお義母さんの娘でいつまでもいたいとおもってしまうくらいに、
大好きだった。

離婚に際してこれまでできなかった話をたくさんしました。
嫁だし、嫌われないようになんて遠慮して、
あまり本音を言わずに来ました。
「この先何十年で親孝行していこう」と思っていました。
でも、できなくなってしまって
だからこの数ヶ月でたくさん感謝と大好きだっていうことを伝えたし、
どれだけ大切に想ってもらえていたかも知りました。
寂しい気持ち、残念な気持ちにさせてしまったことを
とても不甲斐なく思っています。
 
もしかしたら、離婚せずにずっと一緒にいたら
ここまで大切だなんて伝えられなかったし、知らなかったかもしれません。
失う時に大切さを知るなんてとても悲しいけれど
知ることができてよかった。通じ合えてよかった。

【本当のこと】

この半年間どんなかたちで
なるべくみなさんを悲しませないように
ご報告するかを
辻ともPlatformのみんなとも話し合って来て
上記までを、あらかた11月頃までに推敲して書き終えていました。
けれど離婚を目の前にして痛いほど思い知ったことがありました。
 

それでも、わたしは離婚したくなかった、ということ。
 

ここまでの前向きに捉える発想たちは
すべて辻さんの受け売りで追従で迎合でしかなかったこと。
強がっていたこと。

だって、わたしはふたりの性格に合わないところもあることなんて
結婚前にわかっていて
何年も悩んで悩んで他の可能性もたくさんあって
そんななか
つじさんと人生を歩んで行くことを覚悟のもとに「選んだ」のです。
 
いろんな離婚があっていいとおもう。
結婚してから違ったと気づいて、やり直しが許されないなんてことないとおもう。
それは自分のことになる前からそう思ってた。
 
でも、「わたしの」結婚については

「仕事好きな夫婦の形があるのもいいじゃない

「至らないことがあるのはみんな同じ、
だからこそ何十年かけてふたりで成長していきたい。」

そう思って結婚しました。

離婚しよう、と言われたその日のきっかけも
わたしから
「どうしたら、もっと良い関係が築けるか、何か新しく取り組みたい」
と持ちかけたのです。
つじさんは、新たなチャレンジをやめよう、と。
それなら他の人を探そうと言いました。
 
端的にいうと、わたしは振られてしまったのだと思います。
 

まだまだ頑張れた。
頑張りたかった。
けれど、つじさんはそうじゃなかった。
それを認めたくないから、
振られたことを事実にしたくないから

「わたしも、ちょうど離婚したほうがいいと思ってたよ!」
「この離婚はとてもポジティブ」
と、つじさんと同じ考え方をしているのだと
自己暗示をかけて
ここまで半年間駆け抜けて来たんだと思います。

自分にも、まわりにも、つじさんにも強がって。
 
もちろんそれだけが要素というわけではなく
様々なことを感じ取ってわたしも選択的だったとも思います。

つじさんはとても頑固な人だから
わたしが離婚しないと言ったところで
対立関係になってしまうだけで
それよりは、つじさんがもう無理だと感じたことに寄り添いたかった。
わたしにはまだ頑張る余地があることであっても、
つじさんにはそう思えない、そしてわたしの言葉は届かない。
それを無理やり縛り付けても、わたしの目指したしあわせはもうない。
 
思い出しました。
離婚を切り出された瞬間にわたしは抵抗して
でもダメで。
…これまでわたしたちの間で
意見が割れたときはつじさんの意見が通るのが当たり前だったから
当然のようにダメだと思い込んで
落ち込んでいっしーとらいふとザワ(タバカル)に話したら
「納得してないなら話すべきだよ、もう一回考え直してもらいなよ。」
と言ってもらえて目からうろこで
張り切って再度話したけれど、どうしたって言葉が届かなくて
何度も、離婚しなきゃいけない理由を言われるの、苦しくて
抵抗をやめたこと。
あたかも、説得されたように。
離婚を最初から望んでいたように。
結婚記念日に離婚予定日を定めて、
その日をまるでクリスマスのように盛り上げようと、毎日準備をしてきたこと。

つじさんが大好きで、一生寄り添う覚悟でいました。
たくさんのものをもらって、つじさんがいたからここまで生きてこられました。
そのつじさんのためにできることをずっとずっと探して来て、
でもなんでもできるひとだから力になれることがずっとなくて
そのつじさんが唯一わたしに望んでくれたことが、
別れたい、で
それを叶えてあげない理由はわたしにはありませんでした。
 
唯一してあげられることが「居なくなること」なんて悲しすぎて
その事実を忘れようとしていました。いつしか本当に忘れていました。

この気持ちに気付けたのは
つじさんのお母さんにご報告したとき。
きっと、すごく信頼しているひとだから
わたしが心から誠実でいたいひとだから
そして、半年近く経って
やっとわたしの傷が癒えたから気付けたんだとおもう。
お義母さんが、つじさんの説明をひとしきり聞いた後
「みくちゃんはそれでいいの?」
と問いかけてくれたときに
自分でも半年間押し殺して来た「NO」がきちんと出てきた。

つじさんは驚いていました。
だって、半年間一緒に「ポジティブな離婚」を作ってきたはずのパートナーに
裏切られたようなものなのだから。
(わたしは抵抗していたんだけど、それが耳に届いていなかったので)
わたし自身も、ここまで自分が完全に自己暗示をかけて走ってきたことに驚いたし
とても戸惑いました。
なにもかもが今更だったから。
 
その日を境に
すべてがひっくり返ったみたいに
なりました。
まず、つじさんが初めてわたしの話を聞いてくれるようになりました。
本当は別れたくなかったこと、頑張ろうとしたさまざまな取り組みを
いつも忙しさで協力してもらえなかったこと
チャンスを与えられずに「別れる」という結論が提示され
それもまた絶対に覆らずに絶望したこと
たくさん泣きました。たくさん怒りました。たくさん謝られました。
でも、その関係性を築いたのは、ふたりでやってきたことです。
どちらのせいではなく、わたしたちふたりの未熟さです。
それを一緒に乗り越えて行きたかった。永遠に。
結婚すること、夫婦というものをわたしは、人生の戦友だとおもっているから。
それが今月に入って初めてできた気がします。皮肉なものです。
つじさんは「離婚をやめてもいい」と言ってくれました。
つじさんのご両親も、考え直してみてはと何度も何度も言ってくれました。
わたしも迷いました。
伝えてしまった友人や両親には平謝りするとして
またここからやり直すことも選ぶことができました。
しかし、ここに書いた前半の部分もまた事実です。
スタート地点では納得がいっていなかった離婚。
けれど、その道中でわたしが知ったことは本物です。
得たものだけを持って戻ること、も
もちろんできた。
つじさんとの関係はこの半年で格段に良くなりました。
はっきり言って大親友です。
わたしは、親友みたいな夫婦って素敵だと思います。
今やり直せば確実に以前より良い関係が築ける。
離婚届を出すための待合室で、最後の最後まで悩みました。
けれど、と思ったから
わたしの意志で。きちんとわたしの意志で離婚をしました。
それがどうしてなのか
すこし自分でも説明できないところがあります。
もしかしたら、何年か後にはわかるのかもしれないし
もしかしたら、後悔をするのかもしれない
もしかしたら、
「ここに書いてあることも全部自己暗示の思い込みで…」
なんてことを言い出す日が来るのかもしれない。

自分のことも、辻さんのことも、結婚のことも、恋愛のことも
正直言ってなにひとつわからないことだらけだなと
今は思っています。
ただ、この半年間ずっとずっと心に持ち続けてきた言葉があります。
大好きな赤毛のアンの1シーンです。

「人生は遠くまで見通せるまっすぐな道のようだと思っていた。
けれど、いま思いもよらぬ曲がり角に差し掛かって
その道の向こうは何も見えなくてどんなことが待っているかわからない。
けれど、きっと一番良いものに違いないと思う」(意訳)

願いの台詞で
希望の台詞で
そして強がりの台詞。
「曲がり角の向こうを一番良いものにしていく」
という決意。

不安で、怖くて、寂しくて、泣きそうになる瞬間もあるけれど
確かなことは、どんな状況がこの先待っていても
わたしはその場所で楽しく、正直に、生き続けるということです。
幸い素晴らしい仲間がいます。
この1年は、これまで生きてきてもっとも素晴らしい1年でした。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
 
住吉美紅
 
 

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